空色野原

空の下 野原にねころんで つぶやく
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No  298

2015年の年越し~橘樹神社

ブログに載せはぐったまま一年が暮れようとしている2016年の正月旅行。
ちょうど同じ季節になってきたのでギリギリ掲載。

2015年の12月31日。大晦日。
千葉の芥川龍之介ゆかりの一宮館で年越しするため一宮へ向かう。
途中、通り道の茂原の橘樹神社に寄る。

橘樹神社

日本武尊が東征した際、相模から上総へ渡ろうとした時に海上で暴風に遭った。弟橘媛が海に身を投じて日本武尊の難を救ったことから、日本武尊が弟橘媛の御陵を作り、弟橘媛の櫛を納めて、橘の木を植えて祀ったのに始まると伝える。『古事記』には「七日の後、その后の櫛海辺に依りき。すなはちその櫛を取りて御陵を作り治め置きき。」とあり、これが当社のことであるという。社殿後方に弟橘媛の墓と伝えられる墳丘がある。そのため橘樹神社は“橘様(通称)”と呼ばれ地域の人々に親しまれている。『日本書紀』では日本武尊は上総より転じて陸奥国に入られた。そのとき大きな鏡を船に掲げて、海路をとって葦浦(鴨川市吉浦)を廻り玉浦(九十九里浜)を横切って蝦夷の支配地に入られた。」とあり、この時祀られたのが由来とされる。

本殿。橘らしき木が脇に植えてある。

橘樹神社本殿

本殿の後ろの杜。古墳がある。

橘樹神社杜

弟橘媛の御陵と伝わる古墳。

橘樹神社古墳

境内の吾妻池はこの墳墓を掘った跡の穴であると伝えられる。

橘樹神社池

お昼は一宮町東浪見でたまたま見つけたすずき陶苑

すずき陶苑

まず揚げ蕎麦が出てきた。

揚げ蕎麦

ゆば蕎麦。美味い

すずき陶苑ゆば蕎麦

すずき陶苑の裏にある古民家。いい感じ。

すずき陶苑裏古民家

一宮館に着いて、大晦日の夕食では鬼殻焼が出た。

一宮館鬼殻焼



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No  283

日岡陵古墳・石のタライ

7月16日に行った兵庫県加古川市の日岡神社

天平の時代(約1300年前)の創祀。第十二代景行天皇の皇后である稲日大郎姫命(いなびのおおいらつめのみこと)が最初のお産が難産で大変苦しんだため、次に皇后が身ごもられた時に、当社の主祭神である天伊佐佐比古命(神社の由来書によると吉備津彦命のことではとあった)が七日七夜祖神に安産を願い、無事双子の皇子を御安産された。そのため安産の守り神として信仰されている。双子の皇子の一人が有名な倭建命(日本武尊)。

日岡神社

ちょうど茅の輪くぐりが。今年はまだくぐっていなかったのでウレシイ。

正月から六月までの半年間の罪穢(つみけがれ)を祓う夏越しの大祓(おおはらえ)に使用され、それをくぐることにより、疫病や罪穢が祓われるといわれている。日本神話の中で、ヤマタノオロチを倒した素盞鳴尊(すさのおのみこと)が旅をしている途中、蘇民将来(そみんしょうらい)、巨旦将来 (こたんしょうらい)という兄弟のところで宿を求めたところ、弟の巨旦将来は裕福であったにもかかわらず宿泊を拒んだのに対し、兄の蘇民将来は貧しいながらも喜んで厚くもてなした。その数年後、再び蘇民将来のもとを訪ねた素盞鳴尊は「もし悪い病気が流行ることがあった時には、茅で輪を作り腰につければ病気にかからない」と教えた。そして疫病が流行したときに巨旦将来の家族は病に倒れたが、蘇民将来とその家族は茅の輪で助かった。この言い伝えからきている。

本殿前から振り返る。

日岡神社2

由緒書きをもらいに社務所に向かうと
ちょうど「播磨国風土記」の景行天皇稲日大郎姫命についての講座が
あと10分ほどで始まるとのことで、急遽参加することにしたラッキー
日岡神社の神職の方のていねいで熱心な講義でした。

ジツは今回、神社のすぐ裏にある日岡陵古墳がお目当て。日岡山古墳群のひとつ。
ナカナカいい感じの厳かな参道。

日岡山古墳1

日本武尊の御母上、稲日大郎姫命の御陵。

日岡山古墳2

帰り道もいい感じ。

日岡山古墳3

さて、ここから車でちょっと南下したところにもうひとつ日本武尊の伝承が。
あれ?おかしいなこの辺りのハズ・・。

石のたらい1

おおホンマに住宅地にいきなりアル

石のたらい2

石のタライ

ここから約25m東に10mほどの距離をおいて置かれていたもの。稲日大郎姫が無事に双子の王子を産んだ時にこの「石のタライ」を産湯に使ったという伝説がある。大きいタライを使った王子は大碓命、小さいタライを使われた王子は小碓命と呼ばれ、この小碓命が後の日本武尊だといわれている。実際は何に使われたものかはっきりしていない。研究者の間では柱の礎石であろうとか、また、2個が一対となって骨蔵器に使用されたものではないかともいわれている。

石のたらい3

日岡神社のすぐそば、アジアンダイニング・アガンでランチでした。

日岡山ランチ



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No  261

大阪堺~大鳥大社

百舌鳥古墳群を散策しながら辿り着いた目的地。

大阪堺市、鳳駅の大鳥大社。(大鳥神社)
和泉の国一の宮。本殿は古代神社建築の一つ、大鳥造日本武尊死後白鳥となって最後に留まったのが大鳥の地で、周辺の人々が白鳥をお祭りするために建てたといわれている。元来の祭神は大鳥連の祖神であるらしかったが、一時期天照大神が祭神とされるようになった。その後、日本武尊が祭神と考えられるようになり、これが定着した。これは大鳥神社の「大鳥」という名称と日本武尊の魂が「白鳥」となって飛び立ったという神話が結び付けられたために起こった習合であると考えられる。

賽銭箱に素敵な鳥の図柄が。

大鳥大社紋

鳥居と拝殿。

大鳥大社

本殿のそばにいた時、鳥がその場でくるくると舞った。

大鳥大社鳥

境内の神馬の像。その向こうの木陰に日本武尊像が・・。

神馬

立派な日本武尊像。

大鳥大社日本武尊

日本武尊が祭神なので武家の崇敬厚く、平清盛親子も。

平氏石碑

お昼は鳳駅すぐのラーメン、ニューヨークニューヨーク

ニューヨーク

ラーメン屋という概念でない店内。カフェ風。

ニューヨーク内

鳳ブラックニューヨークソルトを食べてみたいと思って来店したが
暑さのせいで急遽まぜそばに変更。

美味いまずは見た目から食欲ソソル

ニューヨークつけ麺




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No  257

讃岐白鳥神社

またまた前後しますが・・
年明け1月9日に法事で四国へ。

しまなみ海道

しまなみ海道

石鎚山系の美しい山並み

石鎚山系

法事を終えて帰りは讃岐富士を眺めつつ・・

讃岐富士

香川県の讃岐白鳥神社へ。

日本武尊が亡くなった時、白鳥となって西方へと飛んで行ったという伝説がある。奈良や大阪に舞い降り、その地にも御陵があるが、さらに飛んで、讃岐国大内郡鶴内の里に降り立ったとここではいわれる。(この伝承は本居宣長の「古事記伝」に記録されているという)記紀と違うのは鳥は鵠(クグイ・・白鳥の古名)ではなく鶴だということ。成務天皇の時代、天皇の御兄弟神櫛王(カングシオウ)が日本武尊の御子、武皷王(タケミカツチノオウ・・神社ではタケカイコオウではなくこうフリガナが)を従わせて、讃岐の国造に封じ神陵を作らせる(武皷王の神陵綾歌郡に、神櫛王の神陵木田郡牟礼町にある)。日本武尊の御子仲哀天皇の時代、神籬(ひもろぎ)を建て封戸を寄らせる。今の神社がその御跡。その後一盛一衰あるが、武家は弓矢の神として崇敬が深かった。

正月飾りが素敵。

白鳥神社

日本武尊は白鳥になったという伝承のせいか、神門には鳥が・・。
なるほど、鶴・・。

白鳥

白鳥宮の文字。

白鳥宮

本殿。

白鳥本殿

遠征に付き従ったという大伴武日吉備武彦を祀る境内社。
日本武尊にとっては心強いお供も大事に祀られている。

白鳥境内社

日本武尊が女装してクマソタケルを倒した場面。いい絵。

白鳥絵

その絵が掛けられた絵馬殿には巨大な鏑矢。

白鳥大矢

その絵馬殿の裏には弓道場が・・。

白鳥弓道場

見上げれば白鳥が飛翔するにいい、なんとも印象的な空。

白鳥空

神社裏境内地は瀬戸内海国立公園の区域に指定され
日本の白砂青松100選に選定されている有名な松原で
そこには自然の山として日本一低い山があるという・・。

平成十六年、神社がある東かがわ市松原、浸水の災害にあった。この松原地区でいったいどこが高いのかを調査したところ、白鳥町都市計画図(平成七年)の中に一番高い3.6メートルを発見。

御山山頂の石碑。こう見ると平ら・・。

御山山頂

ちなみにここに訪れると、『登山証』なるものを発行してもらえる。(社務所にきくとよい)

さらに松原を突っ切ると、すぐに白鳥海岸播磨灘
うっわーーーー ズバヌケた解放感

白鳥海岸

なんて気持ちのいい海
近くに住んで散歩に来たい・・

白鳥海岸2

*白砂が減っているらしく、保存事業の看板・・・末永くこのままであってほしい・・


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No  237

秩父行3~日本武神社・泰山堂

武甲山はやはり秩父の象徴

武甲山2

どこから見ても存在感がある・・。

日本武尊が、自らの甲(かぶと)をこの山の岩室に奉納したという伝説が
元禄時代の頃から定着したそう。

武甲山3

秩父には三峰神社もそうだし宝登山神社もそうだし
日本武尊の伝承が様々残っている。

ここはその名も日本武神社
日本武尊が東征の帰途ここを通過し、里人が祀ったというのが起源。その後、天台修験と関係した時代が長く大般若経十六善神も祭神とされた。例大祭では、神楽殿にて神楽や歌舞伎が休憩をはさみながら12時から20時まで長時間にわたり行われる。小鹿野町は“歌舞伎の町”で知られ、この「十六様」が小鹿野歌舞伎の一年の幕開けとなる。

秩父日本武神社

思っていた以上に綺麗な境内。

秩父日本武神社祠


こちらは武甲山を神奈備山 (神が鎮座する山) とする秩父神社近くの
路地にあるカフェ泰山堂の前より。武甲山。

泰山堂から武甲山

このためだけでも秩父に再訪したい、というカフェ、泰山堂

泰山堂

食べたことのない、忘れられないケーキの味スバラシイ

泰山堂ケーキ


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