空色野原

空の下 野原にねころんで つぶやく
No 

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No  273

四国歩き遍路9~カフェたぬきから金剛福寺へ!

土佐清水市大谷のcosmic country cafe たぬき
ネットでは土日のみ営業とあり、この日はやっていなかった・・。味のある手造り小屋。

カフェ小屋

道沿いにあった巨石を祀る祠。

巨石祠

御神体。

巨石御神体

祠から振り返ると海。

巨石祠より

いよいよ足摺岬の案内看板が0.5kmに

足摺岬へ

金剛福寺到着~ 約90km完歩

金剛福寺門

四国の最南端、国立公園の足摺岬を見下ろす丘の中腹にあり、弘法大師はその岬突端に広がる太平洋の大海原に観世音菩薩の理想の聖地・補陀落の世界を感得した。ときの嵯峨天皇(在位809〜23)に奏上、勅願により伽藍を建立、開創したと伝えられる。弘仁13年、大師49歳のころといわれる。縁起の仔細をみると、大師は伽藍を建立したときに三面千手観音像を彫造して安置し、「金剛福寺」と名づけられた。「金剛」は、大師が唐から帰朝する際、日本に向けて投げた五鈷杵(別名金剛杵)が落ちた地とされ、また、「」は『観音経』の「福聚海無量」に由来している。歴代天皇の勅願所となっていたが、源氏一門の帰依も厚く源満仲は多宝塔を建て、その子・頼光は諸堂の修復に寄与している。戦国時代以降、海の彼方にある常世の国・補陀落浄土を信仰して、1人で小舟を漕ぎ出す「補陀落渡海」が盛んだったことや、一条氏山内藩主の支えで寺運は隆盛した。大師因縁の「足摺七不思議」といわれる遺跡が、岬の突端をめぐるように点在している。四国霊場の札所間では三十七番と三十八番が最長距離で、まさに「修行の道場」である。

池の向こうに本堂。

金剛福寺

弘法大師が唐から投げた「金剛杵」の伝説は、他のお寺にも残っており、刃が1本の「独鈷杵(どっこしょ)」は三十六番札所「青龍寺」に、刃が3本の「三鈷杵(さんこしょ)」は高野山の壇上伽藍に、それぞれたどり着いたとされている。

大師堂。
無事にお参り出来たことに感謝。

金剛福寺大師堂

着いた~ 足摺国際ホテルの部屋より。

ホテルの部屋より

足摺岬や金剛福寺方面。

部屋より

ひとまず今回のおつかれさん。

露天風呂

最終夜の夕食。

国際ホテル

珍しいうつぼのたたき。味は鶏肉に似ておいしい

うつぼたたき

我ながら90km歩けたのが未だに半信半疑・・
目的の三十八番、無事にお参り出来てほんとうに有難うございました

土佐の海、そして高知が大好きな土地のひとつとなった。
行ってみることはほんとうに大事なことだとつくづく思った・・。



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No  272

四国歩き遍路8~民宿旅路からへんろ小屋

5月4日。昨日と打って変わっての快晴の空。
民宿旅路の部屋からの朝陽。

旅路の朝

これまた愛のあるおいしい朝食。

旅路朝食

いざ、今回の最終道程。三十七番金剛福寺へ出発
ちょっと行って海岸に出るとこんな遍路道があった。

遍路道

山道を登る。
“遍路道”とある小さな札があるから迷わずに行ける。

遍路道2

こんな感じ。

遍路道3

きれいな緑のトンネルを抜けると・・

緑のトンネル

そこは海だった

土佐の海

きれいな景色はなによりのご褒美。

土佐の海2

土佐の海、無条件に惚れ惚れする。

土佐の海3

窪津に着いた。

窪津

ここ大漁屋で昼用に巻き寿司を調達。¥250。
海産物の他にちょこっと昼にいいようなものが。道をはさんで海鮮館という食事処も。

大漁屋

窪津港。きれいな公衆トイレもある。

窪津港

そこからしばらく行くとこんな立派なへんろ小屋があったのでちょっと早めの昼休憩。

遍路小屋

奥には善根宿スペースもあり、野宿旅のお遍路さんにとっても有難いところ。

善根宿

私たちが出発するのと入れ違いにひとり、同年代の男性お遍路さんが到着した。
道々時々お仲間に出会う。外国人のお遍路さんのひとり旅も3人くらいいた。
(イタリアのトリノの人は民宿旅路で同宿



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No  271

四国歩き遍路7~下之加江海岸から民宿旅路

5月3日。この日は昼頃から雨の予報。
ロッジ・カメリアを出て下之加江海岸

下之加江海岸

なんだかきれいな・・思わず。

綺麗蛾

嵐の前の海。

嵐前の土佐の海

評判の大岐の浜。うつくしい。

大岐浜

天気がよければゆっくりしたかったが・・。

大岐浜2

大岐の浜を出たところで今回初めて地元の方に小夏をお接待いただいた。
りんごをむくように白い部分を残してむいてそれごと食べる。美味しい

軽トラで通りすがりにわざわざ止まってバックしてきて渡していただいた。
うれしかったなァ~ 目がキラキラ澄んだおいちゃんだった。

おにぎりは休憩した大岐の浜の喫茶ビーチでお昼用に頼んでにぎってもらった。
このあたりは食料を調達出来るところがないおそれがあるので早め早めに・・。

お接待

大岐の浜を過ぎてちょっといくと立派な津波避難タワーが・・。

津波避難タワー

天候悪化も懸念されるので早めに宿へ。
民宿旅路へは途中左の道へ。一瞬わかりにくいので注意。
この小さな看板のある方の道。

旅路看板

見えてきた

民宿旅路

ここは先代がやられていたのを娘さんご夫婦が最近継がれたよう。
ご主人は尼崎出身。気さくできのおけないおふたりで居心地がよかった。
この旅で一番印象に残る宿。長く続けてほしい。
・・ちなみにここは海には近いがけっこう高い岩盤の上なのでご主人いわく、大丈夫のようだ・・ホッ。

旅路ご夫婦

部屋。昔の下宿風だが、なんだか落ち着く。

旅路部屋

この窓からの景色が抜群に気に入った ああ、ここに下宿したい・・。
12:00頃到着して1時間も経たぬ間に予報通り暴風雨となった。
たまたま短い道程のスケジュールで助かった。

民宿旅路窓

無農薬の滋味豊かな野菜たっぷりの夕食。疲れたからだがじんわり喜ぶ。

旅路夕食

本日も無事に歩けて有難うございました。



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No  270

四国歩き遍路6~真念庵からロッジ・カメリア

ドライブイン水車の休憩所でお昼を済ませると
少し戻ってトンネルより手前の道を左に逸れる。10分もかからないくらい?

そこには真念庵がある。

真念庵入口

真念は江戸時代前期の土佐出身大坂在住の僧侶で、大坂から四国に渡り巡礼を繰り返し、「四國邊路道指南(しこくへんろみちしるべ)」や「四國偏礼功徳記(しこくへんろくどくき)」など初の庶民向け遍路ガイドブックともいえる書物を刊行し、道標や遍路宿の建立も進め、現代に続く1番から88番までの札所巡礼番号を定めたともいわれている。遍路の文化価値の向上や大衆化に大きな功績を残したことから「四国遍路の父」「四国中興の祖」などとよばれている。ここ土佐清水市市野瀬は札所間の距離が最も長い三十七番札所・岩本寺と三十八番札所・金剛福寺の中間地点で、真念が建立したとされる遍路宿が番外霊場真念庵」として今も残っていて、昔は善根宿として、また打ち戻るときの荷物置き場として使われていたそう。

真念庵案内

案内板を右手に見て、石段を登る。

真念庵石段

仏堂の前には、明治時代初期の庵主であった法印実道が四国を巡拝して浄財を集めて建立した八十八体の石仏が並んでいる。石仏を刻んだ石は地元民が集落の北にある山から切り出したものである。

真念庵石仏

現在、真念庵の納経は麓の集落にある民家で受けることができる。

真念庵

庵の左手の竹林がうつくしい。
この竹林の先に旧遍路山道がドライブイン水車方面へつながっている。

真念庵竹林

ここから金剛福寺までは7里(28km)ある。真念は金剛福寺までの遍路道に1丁間隔で道標として丁石を350基立てた。これは「足摺遍路道三百五十丁石」と呼ばれている。丁石の多くは美作国(岡山県北東部)、播磨国(兵庫県南西部)、摂津国(兵庫県南東部・大阪府北部)、地元の有志により立てられた。現代では道路工事などで多くが失われている。


真念庵を出たらひたすら歩く。本日は寄り道も入れると約20kmくらい。
遍路宿というにはきれいなロッジ・カメリアに到着。素泊まり¥3000。
昨日の民宿中村よりさらに安い。

ロッジ・カメリア

最近リニューアルされたようで部屋もお風呂もきれい。
洗濯乾燥機も貸していただける。

カメリア部屋

素泊まりといいつつ、お接待で夕食にレトルトカレーが
サラダやフルーツまで・・の手厚いご配慮。なんと有難い。

カメリアカレー

それだけではないのですぞ。
朝食のパンまで・・。ほんとに有難い。

カメリアパン

感謝を込めて。 本日も無事に歩けて有難うございました。


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No  269

四国歩き遍路5~四万十川からドライブイン水車

5月2日。ニュー民宿中村を出て、四万十川東岸沿いをゆく。きれい。

四万十川

あの橋を渡る。

四万十川2

ここいらへんになるとだいぶ下流の四万十川。
河岸に畑を作っていたり、仕事に向かう小船が通ったり。

四万十川3

道沿いに小さな祠。

祠

立派 実崎樋門
四万十市実崎(さんざき)地区を流れる深木川四万十川との合流部に建設された「実崎樋門」は、洪水時に四万十川から深木川への逆流を防ぐための樋門(堤防の下に水路が埋設されている)で、通常はゲートが上がっていて、漁船が通り抜けている。樋門にしてはあまりに立派な建物なので、川を見ながら食事ができるレストランかと見間違える人もいる。

水門

こんなところに大文字山

大文字山

四万十市間崎(まさき)地区の盆行事で、小京都・中村に夏の終わりを告げる風物詩。旧暦7月16日、山の神を奉っている十代地山の中腹の草木を大の字形に掘り、そこに地区の各戸から集めた松明を配して焚き火を行う。応仁の乱を逃れて中村に下った一条教房の息子・房家が、父と祖父の霊を鎮めるため、また京都を懐しんで送り火を焚いたのが始まりといわれる。

大文字看板

道程の山場、伊豆山トンネルのすぐ手前に今大師というお堂が。

今大師

どうやら番外霊場らしい。
四国霊場は八十八カ所だけではない。各霊場の「奥の院」、弘法大師ゆかりの地、古くから信仰の対象となっている場所。実に88ケ所以外に150 もの霊場が紹介されていたりする。小さなほこらや、道端のお地蔵様まで入れたら、その数は計り知れない。 

今大師
玉還喜伝坊を祀るために明治5年にお堂が建てられたのが始まり。現在は弘法大師と不動尊も祀る。信者たちが坊の並々ならぬ人徳と霊力に敬服して「今大師さん」と呼び、高野山もそれを認めて許していたほどだという。徳川時代末期の文化6年(1809)長野県諏訪郡富士見町瀬波に出生。若くして出家し、本州、四国、九州と日本全国を50年近くも修業を重ねた。明治4年(1871)の四国巡礼のとき、幡多群八束村の植田常蔵宅に滞在中病いにて逝去。享年63歳。墓碑は坊の希望した現本堂のそばに建てられた。まもなく泉州堺(大阪)より「六根祈念行者大菩薩」と刻まれた石塔が送られてきた。つまり坊にはこの法名のもと本州にも多くの信者がいたことになる。この石碑は現本堂内に祭られている。平成8年には第126回忌が植田家を先達に多くの信者の協力を得て行われた。(案内石碑より)


今大師堂

伊豆山トンネル。長さ1620m。長い。
歩いて20分くらいはかかった。

伊豆山トンネル

やれやれ~。トンネルを出てたどり着いたのはドライブイン水車
月・火定休ということなので公衆トイレ併設の休憩所で昼休憩の予定にして来たが
ご覧の通りカフェが出来ていた。なんの事前情報もなかったので最近出来たのかな?

ドライブイン水車

と、いうワケで、お昼はきのうサンリバー四万十で調達したパン。(素泊まりなので朝も)
菱田ベーカリー羊羹パンがおいしい。

昼パン


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