空色野原

空の下 野原にねころんで つぶやく
No  238

兵庫~神戸*名号石・一遍廟・中華街

順番は前後し、すっかり遅いUPですが4月のおでかけ。
以前行った法然上人ゆかりの元祖教会再訪。

なんと、今回は管理人の方がたまたま出て来こられ、中へ入れてくださった。
間近に名号石(みょうごうせき)を拝む。

元祖教会名号石

この石の足元の窪みの水は聖水とされていて、飲んでいいとのことで一口。
ちょっと金属的なお味。聞き違いでなければ水道水をここに注いでいるというような・・。
が、この石に触れた水ということで崇められたのはよく分かる。

元祖教会聖水

入口は分かりにくいのでこういった案内看板がある。

元祖教会案内

この日やはり再訪したのは法然上人から始まる系譜、
同じ南無阿弥陀仏の信仰者としても
また極まった感のある一遍上人御廟のある真光寺

兵庫輪田の崎島「光明福寺」に創まり時宗宗祖一遍上人が念仏勧進の全国遊行の旅の途中、この地に立ちより正応二年(1289)八月二十三日観音堂に於いてご入寂、その後兵庫の信者達によって荼毘(火葬)に付され、霊骨を五輪塔に納め、お木像を御影堂に祀った。

今回気づいたのは清盛が訪れた時にもてなしたという井戸。(写真手前)
平清盛公が当寺に弁才天を勧請した時に、僧がこの井戸の水でお茶をたてて献上した。(案内板より)

真光寺清盛井戸

相変わらずここの独特な空気感は数あるお寺の中でも特に好きな部類。

真光寺

この門の向こうに一遍上人の御廟があるが敬意を表して撮影せず。

一遍上人御廟

浄土信仰の中でも名僧はもちろん多々おられましょうが、
ある意味、私が思う南無阿弥陀仏信仰のツートップ
に想いを馳せることの出来るこの兵庫の地でした・・。


お昼は元町の中華街へ。

中華街西安門

お目当てはこの店。

民生

名物といえるイカ~
やはり美味

民生イカフライ



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No  89

篠の葉の御名号

伊勢神宮には有名なお坊さんがよく参ってて
カミサマもホトケサマもない感じがイイナと思ってました。

法然上人も44歳の時、念仏が広まることを願って
伊勢神宮に参拝して念仏をしたそうで。

で、その念仏の最中に大きな日輪が現れ
その中に阿弥陀仏の名が光ったという言い伝えが。

名号

その写しを証しとして<外宮の宝殿>に納めたそう。
面白いのが宝殿が兵火で焼けた際、それは火中から飛び出し
篠の葉にかかって光をはなったという言い伝えも。

伊勢市駅の近くの欣浄寺(ごんじょうじ)には
『篠の葉の御名号』としてそれが本堂右手に安置されています。

欣浄寺

欣浄寺にはもうひとつ面白い言い伝えが。

法然上人は弟子の罪の責を負って四国に流罪になりましたが
その折に伊勢を思い出し
自分は行けないけれども自分の木像を作って伊勢へ納めようとしました。
ところがその木像はどういうわけか
伊勢へ送る途中に大阪の専念寺に留まってしまいました。

満月像

約400年後、専念寺の頂誉上人は
「伊勢へ送れ」
と夢で告げられ、その像を伊勢の欣浄寺に送ります。
同時に欣浄寺の断誉上人も
満月が本堂に降りる夢を見て、その像を受けとりました。

その像が『満月の像』として
こちらも欣浄寺の本堂左手に安置されています。


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No  90

大正の法然 BEN-NEI上人

前にも載せた弁栄(べんねい)上人
今ちょうど柏市郷土資料展示室の企画展で紹介されています。

柏資料室
わかりにくいけどこの写真の奥、正面の掛軸類は上人直筆の書画。

たくさんの仏画などなど描いて望む人に布教のため手渡したそうで
わたしの友人の家もこのあたりの旧家だったので直筆画が残っており
友人は子供の頃からお正月になると出されるその仏様の絵になじんでいたとか。
おばあちゃんは「べんえいしょうにん」といい、
友人は「べんえい商人」だと思い込んでいた、とか。


左右両手を同時に使って違う字を書いたという書や、
布教に使ったというアコーディオンの現物など
けっこう集められています。
その生涯もざっとわかります。

弁栄裏


ちなみにここは先日ご紹介した芹沢介のコレクションが常設展示されており
ナカナカ見応えあってその意味でもオススメ。

27日(土)にはシンポジウムもありますので
お近くの方は郷土にこんな『大正時代の法然』といわれながら
意外に知られていない上人がいらっしゃったのを知るよい機会では。


弁栄

弁栄上人にはいいエピソードが山ほどありますが
そのうちのひとつをご紹介。
上人は米粒に般若心経や南無阿弥陀仏を書いて人々に渡されたことも
多々あったそうで
ひとつは当時人づてに皇太后にも献上されたそう。

そんな折のエピソード

渡辺氏が伊吹山にこもって念仏して,上人のもとに帰った時であった。
上人は米粒を左の手のひらにのせて,同じ左の親指と人差し指で 掌の粒を
取っては書き書きしておられる。
氏がお部屋に入ろうとして,ふと隣室からみると,ネズミが2匹いて,一匹は
上人の手のひらに,一匹は膝にあがって,平気で米粒をたべている。氏は驚いてしまった。
そっと部屋に入るとネズミはたちまち逃げてしまった。

氏「上人いまネズミがいましたね」

上人「うむ,いた。」

氏「なぜ私がきたら逃げたのでしょう。」

とおたずねしたら,上人

「それはお前がえらいからだ」


詳しくは新潟大学の吉原久夫教授のHPへ(この中の個人HPをクリック)
般若心経を書いた米粒の写真や書、仏画数点載ってマス。


お近くでなくとも、こういう機会はあまりないので
(柏市も初めての企画だそう)
ピンと来た方はぜひお出掛けください。
上人の直筆の掛軸の前に立つとそこはかとなく温もりを感じます。



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No  81

智恵をも愚痴をも捨て

先日、兵庫和田岬に行きましたが
その時特に印象に残った一遍上人のお寺。真光寺

真光寺

なにが残ったかというと・・
なんといいますか、空気感、といいますか。

表現しにくいけれどあまり他のお寺で感じたことのない清浄感。
まっさらのきなりの麻のような。

真光寺2

それからなんだか一遍上人が気になりまして
一遍上人~旅の思索者~』(栗田勇著 新潮文庫)
という本を読み始めたところ。

栗田さんという方の筆にまたなんとも引き込まれて
ただの一遍伝という領域を超えているような
久しぶりにいい本に出会えた感があります。

水上勉さんの解説がいう
「栗田氏の語りの妙にひきこまれた。~中略~
私は(今まで一遍の)こんなに深切な解説者をもたなかった。」

というのがうなずけるような気がします。

まだ前半もいいところですが
一番響いたのは一遍の言葉。

「念仏の行者は智恵をも愚痴をも捨、
善悪の境界をもすて、貴賤高下の道理をもすて、
地獄をおそるる心をもすて、極楽を願う心をもすて、
又、諸宗の悟りをもすて、一切の事をすてて申念仏こそ、
弥陀超世の本願に尤もかなひ候へ。」


こりゃスゴイ。
だって、宗教って救われるためにあるのだろうと思っていたのに
極楽を願う心をも、悟りたいという欲すらも、すててしまうというのだから。

ダケド
もしかしたら逆にそれゆえに、悟りも願いも捨て切ったがゆえに
一遍上人のこのお寺、つまり荼毘跡であり御廟(お墓)であるここは
こうも、あたたかくすっきりと白木のように清浄なのでしょうか。

一遍御廟

思えばそれは聖徳太子や弘法大師や法然上人の御廟でも感じたことのないものでした。

智恵を持つことがよいと、善悪をきっちりするのがよいと、
地獄はおそれ、極楽を願おうと
宗教も道徳も常識もいっているように思うのですが
もしかしたらどれもこれも欲であり、我であるといってしまえば、
そうなのかもしれません。

デモ生きるって我と欲だっていえばそうかもしれませんが。

だけどたぶんここにとても大っきなものが横たわっているから
胸のブザーを押されたのだと思います。

なにしろそんなまっさらになれたなら
智恵も愚痴もはずかしく
いまをいきるしかないだろな・・。



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No  75

NEMBUTSU GOSPEL

法然上人二十五霊場の第二十一番、京都大原の勝林院では
お経が音楽的にもうつくしい声明(しょうみょう)として
昇華されていて有名ですが
(本堂ではスイッチを押すと声明が流れるようにしてあって
誰でもさわりが聞けます)


浄土宗和田寺ではNEMBUTSU GOSPEL(念仏ゴスペル)として
こんなCDを出していて、収益は全額東日本大震災の支援に使うそうです。
支援レポートの一部はこちら

念仏ゴスペル

たしかに出だしなんかはゴスペルのよう。
よろしかったら、ご支援のひとつの方法として。
試聴はこちら


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