空色野原

空の下 野原にねころんで つぶやく
No  184

琵琶湖紀行3~菅浦

泊まったつづらお荘本館の部屋から竹生島。

つづらお風景

食事がどの皿も美味しくてビックリ近江牛の小鍋付き。
トイレ・洗面なしの本館プランで安かったけれど
竹生島が眺められて食事がこれならおトク感アリ。

つづらお夕食

きれいな琵琶湖はすぐソコ。

竹生島遠景

朝食の干物も蒸し野菜も美味

つづらお朝食

さて本題の、宿から歩いてすぐの菅浦集落探訪です。

菅浦は平安時代以前に贄人 (にえびと=穀物以外の食料品を天皇に献上する人)
の小集団がこの地に住み漁業と舟運で働いたことに始まったと言われる。
ここの漁民が供御人 (くごにん) として自立したのは平安初期だが、
いつしか自らを天智天皇の供御人の末裔と言われるようになった。
<菅浦の歴史と観光ガイドから>

美しい・・・。

菅浦遠景

湖畔の隠れ里、というにふさわしい。

菅浦には西と東の端にそれぞれ茅葺きの門がある。
これは西の四足門
中世の頃から明治維新まで四方の入口にあったことから四足門と呼ばれていた。
ここで村の出入りのチェックが厳しく行われていた。
門から内はここの掟に背けばここの定めに従って裁かれた。

四足門

恵美押勝の乱で道鏡や孝謙上皇に敗れた淳仁天皇がこの地に隠棲したと言う。
都を追われ、流れ着いたその際に葛篭 (かご) に隠れて舟に乗り、運ばれてきたそうだ。
淡路に落ちたという説は淡海 (おうみ) の間違いであったと伝えられている。
また葛篭に隠れて…というのがなまり葛篭尾 (つづらお) となり
葛篭尾崎と地名になっている。<つづらお荘ホームページより>

菅浦遠景2

1000年の間、平均100戸前後を推移しており
これは昔から跡取り以外はよその地へ…土地を売買するのは集落内で
引っ越しは村の中で家を交換する家移りで、という決まり事を
守ってきたからだといわれている。<つづらお荘ホームページより>

須賀神社参道より集落を見下ろす。

菅浦集落

こちらは集落のどんづまり。この先に東の四足門がある。

菅浦端

淳仁天皇を祀った須賀神社
集落で大事にしているのがよくわかる。

須賀神社参道

なんとこの石段を登るのには靴を脱いで
備え付けのスリッパに履き替える必要がある。

須賀神社

敬意を表して登らず。
淳仁天皇はここに住んだと伝えられ、裏の舟形御陵は天皇の塚だという説が・・。


菅浦散策を終えて、県道512号を塩津に向かう。
つづらお荘には木之本方面からだと512号が近いが、一方通行になっていて
513号から廻る必要があるので注意。

道の駅塩津海道あじかまの里へと戻る。

ふな寿し茶漬

名物ふな寿し茶漬け
ふな寿し入門編。 酸っぱい
ただ酸っぱいだけというわけではないけれど・・・。
ふな寿しは今も高値で売れ続けてるということは慣れるときっとはまる味。



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No  183

琵琶湖紀行2~長浜・木之本

長浜⇔竹生島のフェリーで長浜着。
黒壁スクエア

黒壁スクエア

上記写真左の建物。長浜といえば的な黒壁ガラス館内部。

黒壁ガラス店

通りの洒落た燈火。

黒壁燈火

ちょっと行くと面白い看板が。武者隠れ道。へー。

武者隠れ道

黒壁スクエアでのお昼はカフェレストラン洋屋の黒壁オムライス
中のお米も外の玉子もいかすみで真っ黒くろすけ。けっこう美味い

黒壁オムライス

黒壁を楽しんだ後は石道寺 (しゃくどうじ) の観音様に会いたくて寄り道。
井上靖が著書「星と祭」の中で「村娘の姿を借りたようだ」と表現した十一面観音様。
たしかに素朴で垣根なく、身近に感じられる。
村の人が大切に守っていて和む。

石道寺本堂

「熊注意!」の看板があるくらい自然豊かなところ。

石道寺

紫陽花が咲いていた

石道寺紫陽花

宿へ向かう途中、木之本の町の中で酒蔵めっけ。冨田酒造
若旦那「何でも聞いてください。」と好印象。

木之本酒蔵

父へのお土産に「七本槍」購入。

七本槍



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