空色野原

空の下 野原にねころんで つぶやく
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No  293

兵庫西宮~北山緑化植物園

鷲林寺の帰り道の途中の西宮市北山緑化植物園

園内にある北山山荘

北山山荘

紅葉の時期もよさそう。(写真は9月17日)

北山山荘ひさし

市政60周年を記念し、故木村吉太郎氏(市内雲井町在住)の寄付された土地の売却金を財源として建設された優雅な数寄屋造りの山荘。北山杉や紅葉が見事な日本庭園もあり、北側の谷間から流れる滝が風流。金・土・日は庭園を開放(10:00~16:00)。見学無料。3月~6月と9~11月は、有料で呈茶。句会・茶会などの催しに有料で貸し出している。

北山山荘全景

別棟。木村富士子夫人の名に因み「不盡庵(ふじあん)」と名づけられた茶室。

北山山荘茶室

茶室内。

北山山荘茶室内 

敷石のように綺麗に植えられた植栽。

北山山荘敷石

植物園入口の管理棟。緑をまとっていい感じ。

北山緑化植物園

植物園内。奥にピクニックな人々。

北山緑化植物園内

植物園内2。向こうの山影がまたいい。

北山緑化植物園2

小蘭亭の案内タイル。

西宮市と中華人民共和国紹興市は1985年に友好都市の締結が行われ、紹興市の歴史的建造物である「小蘭亭」と同じ物がここに建設された。「蘭亭」と彫刻された石碑は清の時代の「康煕帝」の書といわれ友好記念として寄贈されてものだそう。

小蘭亭案内

小蘭亭。雰囲気アル。

小蘭亭


鷲林寺と植物園を結ぶ道路の真ん中にある大岩。紋左衛門岩

昔、紋左衛門という人が水争いの諍いを鎮めるために天狗に扮してこの岩で仲裁したという伝説がある。(まんが日本昔ばなしでも紹介)夫婦岩ふたつ岩等とも呼ばれ、白狐が棲み付いているので撤去しようとすると祟りがあるという話、また、ここには巨大な白蛇が棲み付いているとも言われたりする。昭和13年阪神大水害で復興計画が持ち上がった時に、県道通過の妨げとなるこの夫婦岩は爆破するという事に決定。明日爆破作業という日、突然工事主任が急死。これはタタリに違いないということになり爆破作業は急遽中止。以来、誰もが祟りを恐れて夫婦岩を撤去しようとしなかった。しかし数年後、そんなものは迷信だと言って夫婦岩の撤去作業を申し出た建設会社の人間が居たが、彼も奇しくも爆破作業の前日に突然急死してしまう。また、数年前も撤去作業を計画した県担当者が二人連続で病気になって、結局は夫婦岩の周辺の整備のみで終わってしまったらしい。戦後日本に駐留していたGHQ(連合国軍最高司令部)が軍事物資の輸送用にこの道路を整備しようとしたが、その時にも怪事が起き結局この岩は撤去できなかったという話も残されている。


西宮道の岩

また、ちょっと脱線すると、六甲山や甲山は一種古代のピラミッド的要素をもっていて、この辺りに点在する磐座・巨石はある一定の法則、例えば方位を示していたり、直線状に並んでいると指摘する説もある。大昔は甲山を中心に、カタカムナ文化と呼ばれる巨石文明が存在したとする説を唱え、この夫婦岩もすぐ近くの甑岩神社の磐座を含む磐座群と共に、それらの巨石遺構の一つであるのではないかと云う人もいるらしい。

お昼はカフェ・アスコケンダ

アスコケンダ

中。

アスコケンダ内

外。

アスコケンダ外

ランチはお野菜たっぷり。

アスコケンダランチ



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No  292

兵庫西宮~鷲林寺・トラピスト修道院

9月17日。
16日が母の命日なので母が好きだった観音様を探して
隣町、西宮の鷲林寺へ向かった。

鷲林寺(じゅうりんじ)
当山は天長10年(833)淳和天皇(じゅんなてんのう)の勅願にて弘法大師(空海)により開かれた。空海は観音霊場を建立する地を求めて広田神社で夜を通して拝んでいると仙人が現れて「ここを去って西山に入るべし。汝の所期をみたすであろう」と告げた。空海は早朝、西の方角にある山に向かった。すると途中で大鷲が現れ口から火を吹き空海の入山を妨げた。その大鷲は“ソランジン”という悪い神で、このあたりの山に住む支配者だった。空海はかたわらの木を切り、湧き出る清水をそそぎ、加持をして大鷲を桜の霊木に封じ込めた。再び仙人が現れて「観音示現の地、なんじの求める霊域はこの処なり。なんじ、しばらく礼拝せよ」と告げた。空海が自分の体を地に投じて礼拝をすると、不思議にも観音さまが現れた。そのお姿を写して大鷲を封じ込めた桜の霊木にて十一面観世音菩薩を刻み寺号を鷲林寺と名付けられた。

鷲林寺

先の十一面観世音菩薩を本尊として、脇立に薬師如来・鷲不動明王・毘沙門天を祀る。永い間貴族寺院として大変栄え一時は塔頭76坊の大寺院に成長した。しかし、戦国時代に入り寺領はとられてしまい、天正6年(1578)11月に荒木村重の乱が起こり、それを期に翌7年織田信長軍のために諸堂塔はすべて焼き滅ぼされてしまった信長軍の兵火から逃れるために有馬温泉まで逃げ延びた鷲林寺の僧侶が温泉宿を経営したという伝説も残されている。本尊をはじめとする仏像は瓶(かめ)に入れ地中に埋めて隠されていたため兵火から逃れることができた。後に掘り出されて小堂を建立し観音堂としたが、幾多の山津波や火災にあい住職がいない時代が長く続いた昭和の時代に入ってようやく復興され始め現在に至る。

鷲の手水舎。

鷲手水舎

樹木越しの本堂(観音堂)。

鷲林寺本堂

立派な多宝塔(納骨堂)。

鷲林寺塔

また、時期は不詳だが、武田信玄公が僧侶になるため得度をし、その頭髪を埋めたという伝説がある七重の石塔があり、現在西宮市の文化財に指定されている。

本堂と多宝塔。

鷲林寺本堂と塔

ソラン神を祀る荒神堂
谷響集(こっこうしゅう)第九に「悪人を治罰することがあるが故に麁乱荒神と称し、また三宝を衛護するが故に三宝荒神と号す」とあり、麁乱荒神と三宝荒神は同体であると説く。荒神は日本で古くから信仰されている神であるが、インド伝来の神でもなく中国からもたらされた神でもなく、日本で成立した神であると言われる。神道では荒ぶる神であり素戔鳴尊(すさのおのみこと)と関係があると説き、陰陽家では大年神(おおとしがみ)・奥津日子命(おくつひこのみこと)・奥津比売命(おくつひめのみこと)の三神とする。ここにいう素戔鳴尊は、古事記や日本書紀に見られるように天界で暴れる荒ぶる神とされ、大年神・奥津日子命・奥津比売命は素戔鳴尊の子孫にあたり、これらの神が竈(かまど)の神としてまつられることから、いつの時代からかこれらと結びつけて荒神を竈神としてまつるようになったのかもしれない。

神呪寺を開基した如意尼公淳和天皇の妃であり弘法大師の弟子のひとり)もソランジンに邪魔をされ、弘法大師に相談して東の谷の大きな岩に祀ってことなきを得た。清荒神鷲林寺の麁乱荒神を移した荒神様であるという説がある。(鷲林寺HPより要約抜粋)

鷲林寺ソラン荒神堂

八大龍王社

鷲林寺八大龍王社

多宝塔の後ろの坂の上。若宮神社。(広田神社の若宮神社らしい)

鷲林寺若宮神社

鷲林寺へ行く途中にあるトラピスト修道院

トラピスト修道院入口

修道院入口。

トラピスト修道院

手作りのクッキーが有名。
黒いのは黒糖クッキー。

トラピストクッキー

鷲林寺というお酒もある。最寄のいかりスーパーに置いている。

清酒鷲林寺

いかりスーパーマーケット行光博志(ゆきみつ はくし)社長は鷲林寺の檀家で、数年前、灘の櫻正宗で造る吟醸生酒を販売することとなり、社長の案でその酒の名前を「鷲林寺」と命名。菩提寺である「鷲林寺」を多くの世の人に知っていただくためとのこと。ちなみに、題字の「鷲林寺」は鷲林寺の住職が書いている



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No  291

大阪和泉~池上・曽根遺跡

9月3日。
大阪府立弥生文化博物館
展示物がナカナカ見応えのある博物館。

ヒミコ像。

ヒミコ

博物館があるのは、池上・曽根遺跡の一角。

池上・曽根遺跡は、大阪府和泉市池上町と同泉大津市曽根町とにまたがる弥生時代中期の環濠集落遺跡をさす。南北1.5km、東西0.6kmの範囲に広がる池上曽根遺跡は、総面積60万m²に達する大集落遺跡。1976年に国の史跡に指定された。環濠の内側に、掘立柱建物群があり、中央には大型の掘立柱建物がある。花粉などの自然遺物の分析により、アカガシなどの広葉樹の森や、アシ、ススキなどの湿地草原が遺跡周辺に広がっていたと思われる。

曽根遺跡

当時の地形図だと、後方には大阪湾がみえる。
二千年前の大阪湾は、池上曽根遺跡のわずか2km後方にまで迫っていた。


弥生遺跡と大阪湾
(泉大津市HP)

1995年、集落の中心部で見つかった弥生時代中期の大型建物と井戸は、弥生時代のイメージを塗りかえるたいへんな発見となった。大型建物は弥生時代最大級の規模で、26本の柱で構成され、直径60センチメートルもある当時の柱の根元が腐らずに、17本も残されていた。建物の南側にある井戸は、直径2.3メートルのクスノキの大木を刳りぬいて井筒にしており、刳りぬき井戸としてはわが国最大のもの。発掘されたときもこんこんと水が湧き、二千年間、井戸は生き続けていた。建物や井戸の周りには、たくさんの石器や土器を埋めた「祭りの場」がつくられ、その隣では青銅器や鉄器を作っていた当時の工房の跡も見つかった。

曽根遺跡2

池上曽根遺跡の調査のもう一つの大きな成果は、大型建物に残されていたヒノキの柱が紀元前52年に伐切されたものであることがわかり、弥生時代中期の実際の年代が初めて明らかにされたこと。それまで考えられていた年代より百年も古くなり、その後の邪馬台国に続く歴史の流れに、大きな一石を投じた。(和泉市HP)

曽根遺跡3

その、話題の大型建物。

曽根遺跡4

カッコイイ
手前の丸いのが復元された大型井戸。掘り出された本物は博物館に。

曽根遺跡5

高床式の内部。

曽根遺跡6

このあたり、マンホールも弥生っぽい。

マンホール

お昼に隣の北信太駅徒歩15分の
ハシエンダという燻製と石釜ピザの店を目指していったのだが
予約でいっぱいで入れずじまい・・

ハシエンダ

仕方が無いので信太山駅前の“寿”という喫茶に入る。
案外落ち着く。

喫茶寿

変哲もないカレーだが空腹にはごちそう。

寿カレー




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No  289

千葉八千代~麦丸東福院

これもお盆のお寺参り。
八千代市麦丸の真言宗寺院、東福院

門のあたりからの角度がいい。
本堂はザンネンながら鉄コン筋クリート。

麦丸東福院

いい古木がある。

東福院

佛堂いい感じ。

東福院2

佛堂の縁に2、3たむろっていたお猫さまのおひとり。
こちらを見ると、どんどん寄って来る。びゃーと鳴く。

東福院猫

近っ

東福院猫2

お昼はお盆でどこも混んでいる。16号沿いの白井のあや竹に入る。
鴨せいろそば。

あや竹蕎麦



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No  288

千葉佐倉~寺社巡り

秋になってもまだ夏のこと・・
お盆に帰った時に千葉の佐倉の寺社に行った。

飯野観音
創建等不詳。過去帳によれば、元禄16年(1703年) 法印良快をもって中輿の祖とし、本堂は文化2年(1805年) 法印快盛の代の建立とのこと。この飯野観音馬頭観世音菩薩) は領内農民の農馬愛護の為、信仰されていた。さらに常夜灯等から、佐倉藩士殊に馬術に関係ある士に信仰され、参詣された霊場であったことが明らかにされている。

飯野観音

樹齢400年の霊木。

飯野観音霊木

車で平らなところを裏から来たが、反対側に急な石段アリ。
こちらが正面のようだ。ここからの眺めがわりとよい。

飯野観音石段


岩名仁王尊
当毘沙門堂は玉泉寺の境外仏堂。仁王門は左右に仁王像を安置。弘法大師の作と伝わる。明応年間仏師の修理と札にある。伝説には両仁王像は鹿島川を下り、岩名畑戸川岸付近に漂着。近郷の人々集まって引き揚げようとしたが、他郷の人では重くて揚げられず岩名の人には軽々と運べたので、尊像が岩名行きを望んでいるとして仮堂を造って安置する。しかし霊験あらたかでその名は高まり現在の地の毘沙門天の前に移す。寛永年間再修理。江戸諸国よりの参拝者は引きも切らず

仁王門。

岩名不動尊山門

こちらがその仁王様。美しく縁取りされている。
当時の信仰の厚さがうかがえる。

岩名不動尊

毘沙門堂。

岩名不動尊境内

境内からの景色。

岩名不動尊景色


お昼は酒々井アウトレットで。

酒々井アウトレット

冷麺。ウマイ

アウトレット冷麺

休憩は佐倉のカフェソケリ

カフェソケリ

こちらはカフェ。左隣には北欧雑貨ショップも併設。

カフェソケリ2

千葉では佐倉が歴史もあるのでよく行く場所。
ここは比較的新しい。知らなかった。今年10月末で5周年だそう。
米蔵を改装したフィンランドスタイルカフェ。

カフェソケリ3



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