空色野原

空の下 野原にねころんで つぶやく
No  142

延岡*カワカミタケルの行縢山

行縢(むかばきやま)

行縢遠景

その名の由来は
山の姿が、武士が乗馬の際に用いた袴の全面を覆った毛皮製の
≪行縢(むかばき)に似ているからだとか‥。

行縢

近づいてみよう。

行縢山

行縢山の伝承

第12代景行天皇が熊襲を討つためにヤマトタケルを今の九州に当たる筑紫に派遣した。
そのころ、行縢山にカワカミタケルという勢力のある者がいて
人々から多くの貢ぎ物を取り上げて暮らしていた。

ヤマトタケルは、討伐のため、船を今の延岡市の東海の港に乗り入れた。
すでに日が暮れかけていたが、ミコトの意思が通じ
日はしばらく西の山の端にかかって沈まなかった。
ミコトはこの山が馬に乗るときの防具・縢(はき)の形に似ていることから
行縢山と名付けたという。

ミコトは勇気を得て、行縢の近くの舞野村というところまで来た。
そこの野添というところに居を置いて
7日の間とどまり、カワカミタケルを討つ策を練った。

このとき、雄岳と雌岳の間の滝が落ちるくぼみが
矢筈(やはず)の形になっているので、矢筈と名付けた。
また、水の落ちる姿が白布を引くように見えるので、布引きの滝と呼んだと伝えている。

ミコトはやがて美少女に姿を変えて、カワカミタケルの館に入り
酒宴の中でタケルの油断を誘い、討ち果たすことができた。
ミコトは大事を成し遂げて豊後国(大分)に帰った。
人々はミコトが居を置いたところを武宮と呼ぶようになった。
このように日本書紀のヤマトタケルの物語が、地名伝説となって残っている。

 ・・・・・・・・

それにしてもどこか“日本ばなれした”印象的な山容‥。
これは伝承のひとつやふたつ、ささやかれるのも無理ないカモ。
九州上陸にして、はやインパクト大

行縢山アップ

山麓の行縢神社に詣でると
人っ子ひとりいない本殿が夏の陽に輝いて迎えてくれた。

行縢神社

本殿脇には樹齢300年の夫婦杉。

行縢神社&夫婦杉

変わった狛犬?やはりどこか“日本ばなれ”
(まるで南米かどこかのものみたい‥。)

変わり獅子

不思議の地を下界へ辿る途中にあったのはひでじビール
そこで働く方は親切で人なつこく、“南国宮崎”って感じの好印象でした。

ひでじビール

モチロン地ビール、“買い”デショウ



別窓 | 日本武尊 | コメント:0 | トラックバック:0
∧top | under∨
<<宮崎*伝説蛇行 | 空色野原 | クマソの旅*日本武尊行在所>>

この記事のコメント

∧top | under∨
 

管理者だけに閲覧
 

この記事のトラックバック

∧top | under∨
| 空色野原 |