空色野原

空の下 野原にねころんで つぶやく
No  194

近江八幡紀行*1~淡海・八幡

近江八幡に行ってきました

八幡堀

八幡というからにはまずは
やはりその名の起こりであろう日牟禮八幡宮(ひむれはちまんぐう)へ。

伝承によれば、131年、成務天皇が即位の時、武内宿禰に命じてこの地に大嶋大神を祀ったのが草創とされている。275年、応神天皇が奥津嶋神社から還幸の時、社の近辺に御座所が設けられ休憩した。その後、その仮屋跡に日輪の形を2つ見るという不思議な現象があり、祠を建て、日群之社八幡宮と名付けられたという。

近江八幡神社

さすが立派地元の人に大事にされている。

近江八幡神社拝礼

ひきずり松明。火をつけて八幡まつりに使う。
そんなお祭りがあるとは、知らなかった。

275年、応神天皇母神功皇后の生地・近江国(後の息長村、現在の米原市)を訪問する途中、大嶋大神を参詣するため琵琶湖から上陸した。その際、湖辺の葦で松明を作り、火を灯して天皇一行を八幡まで道案内したのが、祭の始めと伝えられる。

ひきずり松明

祭神は八幡様だからモチロン誉田別尊(応神天皇)息長足姫尊(神功皇后)
それと琵琶湖の守り神ということカナ?姫大神(田心姫神・湍津姫神・市杵島姫神)とのこと。

こちらは佐義長まつりのお飾りの向こうにかいま見える神宮皇后の絵。

左義長まつりのルーツは安土にあり、「信長公記」には毎年正月に安土城下にて左義長祭が盛大に繰り広げられ、信長自身も異粧華美な姿で躍り出たと記されている。 織田信長亡きあと豊臣秀次八幡山城を築き、それにつれて安土から移住した人々が引き続き近江八幡で行った。

神功皇后

八幡宮の後ろに控えるは八幡山
ロープウェイにて昇ると、こんな景色が。

近江八幡遠景

山頂には村雲御所と呼ばれる瑞龍寺がある。

京都嵯峨の村雲に豊臣秀吉の姉、智が秀吉に殺された自分の子、秀次や孫らを供養するため以前から帰依していた日蓮宗による寺院を開いた時、後陽成天皇に寺地、寺号、寺領を賜ったので門跡寺院となった。代々皇女や公家の娘を貫首に迎える。現在は男性の貫首。昭和36年に秀次ゆかりの八幡城址に移された

近江八幡風景

山頂近くの見晴らせるところに来れば、琵琶湖一望。
淡海淡海(おうみ)


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