空色野原

空の下 野原にねころんで つぶやく
No  207

平家落人の里

鞆の浦に行く途中、平家落人の里があるらしいと寄ってみた。
福山市沼隈町中山南(なかさんな)横倉

平家の赤い幡を祀るという赤幡神社

平家1

平家谷
福山市沼隈町中山南の横倉は800年にわたって平家伝説を今に伝える地域として〝平家谷″と通称されている。源平屋島合戦のあと、鞆の浦に上陸した平家方は旧沼隈町能登原(福山市)に陣取り、田島に陣した源氏方と対峙、平家方は清盛のおい能登守教経(のりつね)が指揮、源氏方は扇の的で有名な那須与一を陣頭に合戦におよんだが、平家方が敗れて壇の浦目指して落ちのびたという。1185年のことである。

能登守が陣したので能登原という名がついたなど、この合戦にまつわる伝承が多く伝えられるが、平家谷伝説もその1つ。教経の兄、通盛主従が山1つ越えた横倉へかくれ住み、平家再興の機会を待ったというのである。横倉は南北約3キロメートルの谷間の村里、通盛主従を祀る通盛神社(平家宮)、赤い旗を祀る赤幡神社通盛の妻、小宰相局の墓と伝える墓石のある福泉坊、一行が8日間ひそんだという八日谷、平家再興の武技に励んだという弓場などなど。白い色を嫌い、神社の垂(しで)までも赤一色。また、下帯、手ぬぐい、襦袢にいたるまで赤くそめたという。もちろん綿や夕顔もわざわいが起こるとして植えなかった。


通盛の妻、小宰相局が眠るといわれる福泉坊の門より。

平家3

落人の里らしい風情。

平家4

小宰相局の小さなお墓。

小宰相の局墓

お墓のある小山は紅葉の盛りにて別世界

平家5

通盛神社

通盛神社1

本殿。

通盛神社2

夕暮れかけた通盛神社は少々うら寂しい・・。

平家6

祭神、平通盛と妻、小宰相局。平家谷の氏神

旧暦八月十三日の祭礼には
海戦で命を落とした平氏の魂が宿る「平家蟹」が
能登原の海岸から山をよじ登って参拝に来た、と語り継がれている・・。

平家7

たしかに普通よく見る白い御幣はここでは赤い・・。
この小さな墓石が、案内板による通盛主従のお墓、ということなのだろうか・・?

平家8




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