空色野原

空の下 野原にねころんで つぶやく
No  209

鞆の浦2~みどころ

鞆の浦のみどころ。

医王寺からの景色  常夜灯が小さく写っている。

医王寺より

坂道や階段を上った後山(うしろやま)の中腹にある鞆の浦で2番目に古いお寺。826年に弘法大師・空海によって開基されたと伝えられている。その後、火災で焼失。慶長年間に、鞆城代・大崎玄藩により再興された。高台にあるため鞆湾の全景が一望の下に見渡せる。1826年には、オランダ商館の医師シーボルトもツツジや松の観察のために、この小径を登ったのカモ?医王寺のご本尊は「木造薬師如来立像」。 (広島県の重要文化財)6年に一度しかご開帳されない。

医王寺の境内からさらに長い長い階段を登っていくと、「583」と刻まれた最後の階段が。そこに「太子殿」が。鞆の浦をさらに遠望できる最高の眺め。<鞆物語より要約引用>



沼名前(ぬなくま)神社

沼名前神社

鞆祇園宮(ともぎおんぐう)とも称され、大綿津見命(おおわたつみのみこと)、須佐之男命(すさのおのみこと)を祀る。 千八百数十年前、第十四代仲哀天皇の二年、神功皇后が西国へ下向の際この浦に寄泊。この地に社の無きことを知り、斎場を設け、この浦の海中より涌出た霊石を神璽として綿津見命を祀り、海路の安全を祈ったのが始まり。 さらに、神功皇后御還幸の折、再びこの浦へ。綿津見神に御礼として稜威の高鞆(いづのたかとも:弓を射る時に使った武具の一種)を納めたところからこの地が鞆と呼ばれるようになった。

須佐之男命は鞆祇園宮と称し、元は鞆町内の関町に鎮座していたが、慶長四年の火災で焼失。草谷(現在地)に遷座の後、明治九年綿津見神を合祀し相殿として奉斎されている。 祇園宮の創建については不詳。<神社HPより要約引用>



本堂に5mの大仏が鎮座する、阿彌陀寺

鞆の浦大仏寺

1565年に創建された阿彌陀寺は、鞆の人たちからは「あみだいじ」と呼ばれ親しまれている。 江戸時代の前~中期、10代目・雲洞上人の頃に中興をみた。山門はとても立派で、鞆の浦の中でも随一。その山門の右の方に、「鞆の津塔」と呼ばれる江戸時代前期の石塔が12基並んでいる。これは五輪塔と宝篋印塔(ほうきょういんとう)を合わせた鞆独特のお墓お大名でなければお墓が建てられなかった時代に、庶民がこれだけの供養塔を造った、鞆商人の財力を物語る。

本堂には、「鞆の大仏」と称される「丈六阿彌陀如来坐像」が鎮座。光背までの高さは、約5メートル。中興第10世の雲洞上人が現(うつつ)に阿彌陀如来のお姿を拝み、その尊容を京都の仏師・安清に伝え、5年かけて完成させたもの。無料で拝観できる。<鞆物語より要約引用>



保命酒の生まれ故郷、太田家住宅

太田家

1991年に国の重要文化財指定を受けた。瀬戸内海を代表する往時の商家の佇まいを今に伝える、歴史的価値のある建造物群。主屋や炊事場、保命酒蔵が見事に保存されていて、玄関には杉玉掛けもあり、造り酒屋の構えをよく残している。これらは江戸時代中期から後期にかけて「旧保命酒屋中村家が拡張・増築していったものだが、明治に入って廻船業を営んでいた太田家に継承され今日に至る。

1655年に大阪から鞆に移り住んだ中村吉兵衛は、1659年に漢方薬酒・「十六味地黄保命酒」の製造・販売を始めた。 「保命酒屋」(旧中村家)として、江戸時代の間は醸造販売権を独占し、隆盛。まさに鞆の経済の中心だった。

鞆七卿落遺跡~文人・墨客をもてなした粋な空間>
幕末の政変によって都落ちした三条実美ら尊王攘夷派の公卿7人が、鞆に立ち寄った際に一時の憩いを得たのが、この太田家住宅(旧保命酒屋)。公卿らは保命酒に陶酔し、その美酒を褒め称える歌を残している。朝宗亭藩主の滞在にも使われた町家で、太田家(旧保命酒屋)の格式ある別邸。鞆湾を巡る雁木の間に悠然と割って入ったかのような構えは、まさに大店の船問屋の佇まい。鞆港の一等地に腰を据える朝宗亭は、鞆の浦の顔としての貫録に満ち溢れている。<鞆物語より要約引用>


太田家の酒蔵。
神戸の酒蔵も色々見たが、ココはそれをしのぐ見応え。

太田家1

太田家の帳場。

太田家2


坂本龍馬隠れ宿、桝屋清右衛門宅

龍馬隠れ宿

いろは丸事件が勃発した当時、各地の廻船(港から港へ貨物を運んで回る船)が立ち寄る鞆の浦は、潮待ちの港として栄えていた。その時代、桝屋清右衛門は土佐藩、大洲藩、薩摩藩などの商船と取引があった。長崎の豪商 小曾根家は龍馬のよき理解者であり、当主の末弟・小曾根英四郎は積荷の仕切り役としていろは丸に乗っていた。小曾根家と桝屋は商取引があったと思われ、英四郎の仲立ちで桝屋を宿舎に定めたとも考えられている。

龍馬の隠れ部屋

龍馬隠れ部屋

1989年「坂本龍馬は屋根裏部屋に泊った」との言い伝えから地元の有志が天井を調査。1カ所だけ天井板が外れ、隠れ部屋が発見された。部屋は当時のまま手つかずで残されていたが、ほこりや傷みがひどく、また、天井裏へ通じる階段もないことから、一般に公開できる状態ではなかった。2010年広島県などの補助金を利用し整備を進め2011年4月から一般公開。


坂本龍馬いろは丸談判の場いろは茶屋。(旧魚屋萬蔵宅

いろは茶屋

慶応3年(1867年)4月23日深夜、坂本龍馬と海援隊士34名を乗せ、海援隊初の航海へと船出した「いろは丸」 は瀬戸内海を大阪に向けて航行中、現在の福山市宇冶島沖で紀州藩の軍艦「明光丸」と衝突事故をおこした。小さな蒸気船いろは丸は大破し、明光丸に鞆の浦に曳航される途中、沈没した。この海難事故の賠償交渉は万国公法(当時の国際法)にのっとり、双方の宿泊所の中間地点のこの場所で行われた。

いろは茶屋で。鯛いろは漬け御膳。¥1400。
右下の鯛のいろは風「漬け」を、後半出汁茶漬けにして食べる。旨い

いろは茶屋ごはん


車で行きましたが、
宮崎駿さんは鞆の浦の町から歩いていったとか行かないとか・・?

阿伏兎観音

阿伏兎観音3

およそ1000年前の992年頃に花山法皇により創建されたと伝えられ、海の安全を祈願する観音様が祀られている。岬の岩頭に建つ朱塗りの観音堂は、その美しさから安藤広重(歌川広重)の浮世絵や志賀直哉の「暗夜行路」などにも紹介されている。国の重要有形文化財。安産・子育ての観音様として信仰を集めている。拝観料¥100。

雨が降って滑りやすいので行かなかったが・・。石の三重塔。
こちらから観音堂を見上げる景色、いいみたい。

阿伏兎観音1

ココ、けっこう欄干が低くて少々高所恐怖には怖い・・。

阿伏兎観音2

腰が引けながらの阿伏兎観音でした。




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この記事のコメント

No.72 コワイで~♪
キモチは壁板貼り付き忍者。
一歩、一歩が90のおばあちゃん状態でしたi-278i-201
雨模様で他に人もいなかったせいでよけい心細くもあったけど、
天気で人がいっぱいいても、すれ違うのがコワイi-229
景色はバツグンなんですケドネ~i-239i-202
2015-02-05 Thu 09:43 | URL | ben-chicchan #-[ 内容変更]

No.71 ちょっ
これ・・・
高所恐怖症やなくても
怖いで!!
濡れてるわ、歪んでるわ、木製やわ、手摺り低いわ、、、
怖いって!
景色は良いけどさぁ。。。怖さが先立ってまぅ。。。
2015-02-04 Wed 16:27 | URL | リン妙 #.cb2qpfo[ 内容変更]

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