空色野原

空の下 野原にねころんで つぶやく
No  23

門戸厄神(もんどやくじん)

先週末、結婚1周年にどこかへ行こうともくろんでいたのですが
前日が連れ合いの東京出張だったので近場に。
ならばと毎日目にしていながらまだ行っていない
六甲山に行くことにしていたら雨!

せっかく高いところへ行くならスカッと晴れた日がいいのでそれはおあずけ。
そこで候補にあがったのが『門戸厄神』でした。
ここなら30分もあれば行けちゃう。

門戸厄神の特徴的な“中楼門”。
門戸厄神

『門戸厄神』との出会いは“地図”でした。
なにしろ地図が好きな私は、地図さえ与えておけば1時間はかるくつぶせます。
そうしていつものようにつらつらと眺めておって目についた文字。
『門戸厄神』。
「何これ?」
寺の案内本をひもとくとこうでした。

ご本尊の薬師如来よりも有名なのが『厄神明王』。

厄神明王
↑これは高野山秘蔵の国宝の厄神明王=両頭愛染明王(部分)。鎌倉後期。
 門戸厄神の厄神明王は霊威のある秘仏で写真撮影や模写は許されていない。
 東光寺縁起より。

829年、嵯峨天皇が41歳のとき、弘法大師の導きで自ら厄除祈願をされた際、
愛染明王と不動明王が融合一体化して
虚空の獅子座から諸々の災厄を打ち払う様を、夢うつつに感得されました。

弘法大師にこのことを伝えると
大師は自らのみをとり和合一体両頭の三体の明王像を刻まれました。
天皇はその尊像にいたく感動され
3年間宮中にて天下泰平・衆生息災の祈願ののち
一体を天下泰平のため高野山のふもとの天野天神へ
一体を京都守護のかために石清水八幡宮へ
残る一体を庶民の守護のため、ここ摂津(兵庫)の門戸の東光寺へ。

ここが本格的に庶民の信仰を集めることとなったのは
1578年荒木村重の乱のとき。
織田信長に火をはなたれて境内全て、残らず焼き尽くされたのですが
厄神明王のみが灰の中に厳然と立っておられたといいます。

大師が彫った三体のうち時の流れに他の二体は失われ
現存するのはここのみ、ということでも希少なことで。

弘法大師にゆかりがあるゆえか境内にはこんなものも。

延命魂(根)
延命魂
高野山奥の院、弘法大師御廟近くの山道にそびえ立っていた樹齢800年の老杉。
お大師様を守護していたのが台風で倒れ、3年前に高野山より賜ったそうな。

また、地元の学校の卒業制作のナカナカな版画もかかっていました。

門戸厄神版画

ガイドブックに載るような観光地ではありませんが
地元では大事にされている名所のひとつです。

あまり門前の風情はないですが南門の坂を下るとこんな名物もあり。
まんじゅうにしては存外美味しく、
白砂糖の甘物はなるたけ買わないようにしているにしても
土産としては平均点をぐぐっと上回りました。

厄除饅頭

門戸厄神ホームページ
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