空色野原

空の下 野原にねころんで つぶやく
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No  230

四国バス遍路2~恩山寺・平等寺・薬王寺

第十八番恩山寺

聖武天皇の勅願により、行基が草創。本尊には行基が薬師如来像を彫造して安置し、災厄悪疫を救う女人禁制の道場だった。後に弘法大師がこの寺で修行をしていたころ、大師の生母・玉依御前が讃岐の善通寺から訪ねてきた。だが、寺は女人禁制、大師は山門近くの瀧にうたれて17日間の秘法を修し、女人解禁の祈願を成就して母君を迎えることができた。やがて母君は剃髪をして、その髪を奉納されたので、大師は山号寺名を「母養山恩山寺」と改めた。

玉依御前の剃髪所
大師堂の手前。(写真右の小さな建物)「大師御母公剃髪所」の石碑と小さなお堂が建ち、
また、大師作と伝えられる「御母公像」、母君の髪の毛が安置されている


恩山寺

十大弟子。

恩山寺十大弟子


第二十二番平等寺

弘法大師がこの地で修行した折、空中に5色の霊雲がたなびき、黄金の梵字が現れた。歓喜して加持すると薬師如来の尊像が現れて光明が四方に輝く。さっそく加持水を求め杖で井戸を掘ったところ、乳のごとき白い水が湧き溢れた。その霊水で身を清めた大師は100日の修行の後に薬師如来像を刻み本尊として安置し、人々が平等に救済されるようにとの願いをこめて白水山平等寺と定めた。以後、寺は大規模に栄えたが天正年間に長宗我部の兵火によって焼失し、江戸時代中期に再興されて現在に至る。大師が杖で掘られた霊水は男坂の左下にあり、どんな日照りにも枯れることなくこんこんと湧き出ている。現在は無色透明で、万病にきく「弘法の霊水」として全国に知られている。

平等寺

門前の出店。旨い干し柿を¥200で売っていた。

平等寺出店


第二十三番薬王寺

こちらも聖武天皇の勅願によって行基が開創したとされている。815年、弘法大師が42歳のとき自分と衆生の厄除けを祈願して一刀三礼し、厄除薬師如来坐像を彫造して本尊とされ、厄除けの根本祈願寺とした。大師は、この厄除け本尊の功徳を平城天皇嵯峨天皇淳和天皇の3代に相次いで奏上したところ、各天皇は厚く帰依し、厄除けの勅使を下して官寺とされている。1188年、火災で諸堂を焼失しているが、このとき厄除け本尊は、光を放ちながら飛び去り、奥の院・玉厨子山に自ら避難した。のちに嵯峨天皇が伽藍を再建して新しい薬師如来像を開眼供養すると、避難していた本尊が再び光を放って戻り、後ろ向きに厨子に入られたと伝えられる。以来、「後ろ向き薬師」として秘仏にされている。

境内に建つ瑜祇塔(ゆぎとう)が特徴。
高さ29メートルの楼閣。上方が四角、下方が円筒形で一重の塔。天と地の和合を説く『瑜祇経』の教えに基づき、屋根に五柱の相輪が立つ。


薬王寺門

苔むした立派なご霊木。

薬王寺

日和佐の海が向こうに望めて眺望素晴らしい

日和佐

前日泊まったのは徳島市内の昴宿よしの

昴宿よしの

お刺身の器が橋の形。



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