空色野原

空の下 野原にねころんで つぶやく
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No  233

行徳2~寺町

行徳は寺町といえるほど寺が立ち並ぶ。

浄閑寺
浄土宗大本山増上寺末寺。火災・津波(1856)等災害に会うこと両三度の記録があり、大いに荒廃した時期もあったらしいが今は奇麗に復興。参道には供養のためか六角塔や六地蔵が。

ここにも津波の足跡が・・。この地蔵像は味わい深い。

浄閑寺地蔵bg

境内の松は龍のごとく空へと昇って立派。

浄閑寺松


徳願寺
1610年、德川家康の帰依により徳川の徳の字を入れて徳願寺として創建。本尊阿弥陀如来像は源頼朝の室政子が仏師運慶に命じて彫刻させたものといわれ、家康が二代将軍秀忠夫人(崇源院)のため鎌倉から江戸城に遷したが、崇源院亡き後当寺に下賜され供養料として慶安元年(1648)10石の御朱印状を拝領したという。宮本武蔵の落款のあるだるま絵や、円山応挙作といわれる幽霊画などがある。

徳願寺入口

家康が帰依しただけに、これまた立派な仁王門。

徳願寺山門

本堂。

行徳徳願寺


法善寺
法善寺は1600年、片桐旦元(かつもと)の家臣として豊臣家に仕えていた河本弥左衛門が関が原の合戦の後、行徳の地に移り住み、宗玄和尚として仏門に帰依しこの地に建立。

1687年旧暦の8月、俳人松尾芭蕉は鹿島の山の月を見ようと思い立ち、弟子の曽良などとともに深川の芭蕉庵より出かけた。芭蕉44歳。その様子は「鹿島紀行」として残っている。その中に「芭蕉庵の門より船に乗り行徳というところに至った。船を下りると足の力を試そうと徒歩で行った」と、ある。芭蕉は、行徳で船を下りてから、行徳街道を北に向かい、寺町どおりから妙典地区の旧街道を通って八幡に向かったと思われる。鹿島行の2年後、奥の細道へと旅立ち、その旅の終わりに伊勢の二見浦に立ち寄り「宇たがふな潮の華も浦の春」を詠んでいる。寛政9年(1797)芭蕉の百回忌にあたり、行徳の俳人戸田麦丈らによって、法善寺にその句碑が建立された。今も本堂前の見事な松の木の下にある「潮塚」にある。


美しい芭蕉句碑。

行徳法善寺芭蕉句碑

行徳には文人墨客のトピックスがたくさんありそうだ。
江戸期の行徳の文化水準が垣間うかがえる・・。


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