空色野原

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No  236

秩父行2~秩父神社

秩父といえば・・三十四観音札所でも有名ですが
秩父神社も外せない?

秩父神社全景

秩父神社の創建は『先代旧事紀国造本紀-』によれば、第十代崇神天皇の御代に知知夫国の初代国造に任命された八意思兼命の十世の子孫である知知夫彦命が、祖神をお祀りしたことに始まるとされており、武蔵国成立以前より栄えた知知夫国の総鎮守として現在に至っている。中世以降は関東武士団の源流平良文を祖とする秩父平氏が奉じる妙見信仰と習合し、長く秩父妙見宮として隆盛を極めた。現存する社殿は、天正20年(1592年)に徳川家康が寄進したもので、県の有形文化財。また、毎年12月3日に行われる例祭は、「秩父夜祭」として国の重要無形民俗文化財に指定され、京都の祇園祭、飛騨高山祭と共に日本三大曳山祭のひとつに数えられる。

ココは夜祭でも有名ですが、彫刻の数々もスゴイ。

秩父神社

つなぎの龍左甚五郎作
その昔、秩父札所十五番小林寺近くに「天ヶ池」 という池があった。その池に住みついた龍があばれた際には、必ずこの彫刻の下に水溜りができて いたことから、この彫り物の龍を鎖でつなぎ止めた ところ、その後、龍は現れなくなったという不思議な伝説が伝わっている。ご本殿東側の鎖でつながれた青い龍の彫刻こそ、 この伝説に語られた「つなぎの龍」の姿。昔から日本人は、家や地域の四方を青龍、朱雀、 百虎、玄武という神使が守っていると信じてきた。この彫刻も、当社の東北(表鬼門)を守護する 青龍の姿を、社殿彫刻に施したもの。

秩父神社つなぎの龍

北辰の梟
本殿北側中央に彫刻された梟は、「北辰の梟」といって、体は正面のご本殿に向き、頭は正反対の真北を向いて昼夜を 問わずご祭神をお守りしている。当社のご祭神である妙見様は、北極星を中心とした北辰北斗の星の信仰で、この梟の見 ている方角に妙見様が出現することからも、 ご祭神と特に縁深い瑞鳥であると言える。洋の東西を問わず、梟は智恵のシンボルと 考えられており、当社のご祭神、八意思兼命智恵の神として崇敬の篤いことと重ねて、 思慮深い神使として社殿北面に施されたものと思われる。

秩父神社北辰の梟

拡大。

北辰の梟

子宝 子育ての虎左甚五郎作
武田信玄の手により、永禄十二年(1569年)に焼失した後、徳川家康より現在の社殿が再建された。家康公は、寅の年 寅の日 寅の刻生まれということで、それにちなんでか当社の拝殿前は四面にわたってすべて虎の彫り物が施されている。特に拝殿正面左より二つめの、子虎とたわむれる親虎の彫刻は、家康公の威厳とご祭神を守護する神使として彫刻したものと伝えられている。当時の狩野派で は、虎の群れの中に必ず一匹の豹を描くことが定法とされていたことから、母虎があえて 豹として描かれているのが特徴的。

秩父神社寅

神門の上でくつろぐ鳩たち。

秩父神社鳩

お昼は神社の近く、武蔵屋

秩父武蔵屋

歩いて行けるところに武甲酒造も。

武甲正宗



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