空色野原

空の下 野原にねころんで つぶやく
No  246

安来・清水寺~紅葉館

出雲つづき。2泊目。
行ったのは神在月(かみありづき) だったので宿はどこも混んで高い。
少し離れた安来に、松江や玉造温泉より高くないいいお宿を見つけた。
休前日でも¥11880(2名以上税込)

紅葉館安来清水寺境内にある精進料理の宿
これが部屋からの“錦の”景色ですッ

紅葉館景色

“紅葉館”の名がこれほどピタリとくるところもそうはない・・。カンドウ

こちらが清水寺本堂。けっこうな歴史がある。

厄払いの寺として慕われる清水寺は、1420年余前、用明天皇2年(587年) 尊隆上人によって開かれた。 寺伝によると当時は山深く、近づく者とてない山であった。夜になると里に向かって一条の光が現れ、里人を怖がらせていた。そんな折、山陰道を巡錫中の尊隆上人が通りかかり、光の源を探るべく山の中腹まで登ってくると、1人の白髪の老人が現れ「今日まで観音様をお祀りしてきたが、そろそろ次の世に往かねばならぬので替わりに観音様をお祀りしてくれる人を探していた」と、観音像を託された。尊隆上人が小さな草堂を結んでそれを安置したのが始まり。当時は水が一滴も水が出ず、一週間の間水が出るように密行を施すと、草堂の直ぐ側から水が湧き出し、常に清い水を湛えたことから清水寺と名づけた。

清水寺

推古天皇端夢に清水の観音の厄払いの霊験あらたかなるを感得され、 堂塔伽藍を賜る。 その後荒廃し、中興の盛縁上人16歳で登山、復興に努めるも道険しく、そんな折、平城天皇瑞夢にてその努力を知り、堂舎を再興、大同元年(587年)中国隋一を誇った 七堂伽藍を完備した。 承和十四年(847年)11月、慈覚大師(天台座主円仁)唐留学の帰路、当山に立ち寄り、光明真言 の秘法を伝法、これを機に天台宗となる。その際、精進料理(現在の清水精進料理、清水羊羹の元)も伝習される。その後再三火災に遭うも、明徳四年(1393年)4月、再び 大伽藍を復興、今日の寺景をつくる。戦国時代には尼子毛利の戦いに巻き込まれ、毛利によって焼き討ちを受け、根本堂のみを残して焼失するが、毛利家そして江戸時代には松平家代々の庇護を受けて今日の伽藍に復興する。山陰随一の三重塔は安政六年(1869年)1万人講を組織して和尚二代、大工三代の彼岸の末(33年かけて)完成する。高さ33m。総欅造り。

部屋からも見えた三重塔登れるのは全国でも珍しいらしい。
本来は1週間前の要予約。
私たちが予約して開けてもらったところ、ちょうどその場に居合わせた他の観光客の方々も予約なしで入れることとなった。ラッキーですよこれはぜひここまで来たらこの景色を

三十三観音という数とは偶然か?33年かけて造られた33mの三重塔・・。

清水寺五重塔景色

清水寺の見どころは、三重塔(¥200)の他に
この光明閣書院庭園(¥600)寶蔵(宝物館¥300)もある。
*3つセットだと¥900。

清水寺庭

一服お抹茶と清水羊羹付。寶蔵内は撮影出来なかったが、必見の価値アリ

清水寺庭2

境内の黄葉輝く

清水寺黄葉

紅葉館と公孫樹。

紅葉館と銀杏

紅葉館。

紅葉館

紅葉館お食事処より。

紅葉館食事処景色

絶品精進料理
天台座主の慈覚大師が唐から清水寺に伝えたものが元となっている、らしい。
(境内で売られている清水羊羹も。)

紅葉館精進料理

卵を使わない茶碗蒸し。こっちの方が好き

紅葉館茶碗蒸

鰻に見える美味い
(豆腐、山芋、くわい、等を使っているそう。)

紅葉館精進鰻

もっとも、ご主人(カナ?)いわく
美味しい、の声に含み笑いながら
「精進料理ですから美味い不味いというものではないんです。」
というようなひとこと。たしかに。本来は修行の精進ですもんね・・。

紅葉館夜景

部屋からの夜景。

紅葉館朝食

朝は精進ではありませんでした。 やっぱり美味しい。

紅葉館


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