空色野原

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No  264

大阪・高槻~今城塚・太田茶臼山古墳(継体陵)

仁徳陵履中陵に魅せられてつづいて訪れたのは・・

大阪高槻にある今城塚古墳

今城塚古墳

531年に没した第26代継体天皇真の陵墓と考えられ、古墳時代の大王陵としては唯一、淀川流域に築かれた古墳淀川流域では最大級の前方後円墳。全長190m。昭和30年代前半、ほぼ全域が民有地で、内濠・外濠は水田として利用されていた。高槻市では、古墳の保存を図るため、国や大阪府の支援をうけながら約50年間をかけて、ほぼ全域を公有化した。平成9年からの発掘調査により、文禄5(1596)年の伏見地震による地滑りで、墳丘の盛土の多くが内濠へ滑落したことが判明。石棺の破片が見つかり、かつて後円部の地下に築かれていた横穴式石室も地震によって崩壊・消滅したと考えられている。今城塚という名称は、戦国時代に城砦として利用されたことに由来。陣を築いたのは三好長慶とも、それを攻めた織田信長ともいわれている。

ここは併設されている今城塚古代歴史館も充実していてオススメ

この古墳の魅力は復元屋外展示されているはにわ群

古墳とはにわ

壮観

はにわ群

いいな~

はにわ君

そしてそして、オドロイタのが、古墳の濠の一部に水はなく、原っぱ化していたこと・・。
(昭和30年代は水田として使われていたというのも驚いたが・・)

今は近所の子供たちからしたら、ただの草っぱらとお山。

空堀

古墳の上にも誰でも入れるようになっている

古墳散策路

おお

古墳山道

この辺は前方後円墳の円墳の上あたり。
(つまり、石室があって葬られていた上あたり?)

宮内庁管理だと、御陵のこんなとこに人は立てない・・。
大変珍しいことらしい。
天皇陵と認定されていないことがかえってある意味よかったというかなんというか・・。

古墳頂上

古墳は緑が生い茂り、下草のシャガが綺麗だった。
木立の向こうに埴輪の列が見える。

シャガ

空濠から見上げる円筒はにわの列。

空堀から

今城塚古墳公園は市民の憩いの場となっていて、明るい。
葬られた人も1500年も経てば、こういう風にきちんと歴史館も建てた上で
開放されて人々に愛されたらかえってうれしいんじゃないだろか、と思わせる・・。

今城塚古墳公園

その古墳公園に面して、去年11月に出来たブーランジェリー&カフェのサニーサイド
絶好の立地。

サニーサイド

カレーパン、人気で個数制限されるほど。やっぱ美味い。

サニーサイドパン

腹ごしらえを済ませてさらに歩いて向かったのは・・

現在宮内庁が継体天皇陵としている太田茶臼山古墳
今城塚古墳よりもさらに巨大な全長226mの前方後円墳だが、発掘された埴輪の分析から、5世紀の半ばに築かれたと考えられている。つまり、継体天皇の活躍した6世紀前半よりも、半世紀以上も昔の古墳。そのため、今では学界などで今城塚古墳こそが継体天皇陵という定説となっている。太田茶臼山古墳の被葬者を継体天皇の曽祖父である意富富杼王に比定する説があり、継体天皇本人ではなくてもその関係者を被葬者として推定する見方もある。

太田茶臼山古墳

ここは開放されていないので粛然とした雰囲気。

太田茶臼山古墳正面

その西向こうは・・
地図によると安威川(あいがわ)に向けて低くなっているので眺望はひらけ、
古墳があるのが高台であることが分かる。
*継体天皇陵=藍野陵(日本書記)の「藍」=安威という地名

太田茶臼山古墳付近

こういった地勢を感じられるので、歩いてみるのは面白い。
高槻駅下車、しろあと歴史館経由、約10kmほどの散策でした。


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