空色野原

空の下 野原にねころんで つぶやく
No  269

四国歩き遍路5~四万十川からドライブイン水車

5月2日。ニュー民宿中村を出て、四万十川東岸沿いをゆく。きれい。

四万十川

あの橋を渡る。

四万十川2

ここいらへんになるとだいぶ下流の四万十川。
河岸に畑を作っていたり、仕事に向かう小船が通ったり。

四万十川3

道沿いに小さな祠。

祠

立派 実崎樋門
四万十市実崎(さんざき)地区を流れる深木川四万十川との合流部に建設された「実崎樋門」は、洪水時に四万十川から深木川への逆流を防ぐための樋門(堤防の下に水路が埋設されている)で、通常はゲートが上がっていて、漁船が通り抜けている。樋門にしてはあまりに立派な建物なので、川を見ながら食事ができるレストランかと見間違える人もいる。

水門

こんなところに大文字山

大文字山

四万十市間崎(まさき)地区の盆行事で、小京都・中村に夏の終わりを告げる風物詩。旧暦7月16日、山の神を奉っている十代地山の中腹の草木を大の字形に掘り、そこに地区の各戸から集めた松明を配して焚き火を行う。応仁の乱を逃れて中村に下った一条教房の息子・房家が、父と祖父の霊を鎮めるため、また京都を懐しんで送り火を焚いたのが始まりといわれる。

大文字看板

道程の山場、伊豆山トンネルのすぐ手前に今大師というお堂が。

今大師

どうやら番外霊場らしい。
四国霊場は八十八カ所だけではない。各霊場の「奥の院」、弘法大師ゆかりの地、古くから信仰の対象となっている場所。実に88ケ所以外に150 もの霊場が紹介されていたりする。小さなほこらや、道端のお地蔵様まで入れたら、その数は計り知れない。 

今大師
玉還喜伝坊を祀るために明治5年にお堂が建てられたのが始まり。現在は弘法大師と不動尊も祀る。信者たちが坊の並々ならぬ人徳と霊力に敬服して「今大師さん」と呼び、高野山もそれを認めて許していたほどだという。徳川時代末期の文化6年(1809)長野県諏訪郡富士見町瀬波に出生。若くして出家し、本州、四国、九州と日本全国を50年近くも修業を重ねた。明治4年(1871)の四国巡礼のとき、幡多群八束村の植田常蔵宅に滞在中病いにて逝去。享年63歳。墓碑は坊の希望した現本堂のそばに建てられた。まもなく泉州堺(大阪)より「六根祈念行者大菩薩」と刻まれた石塔が送られてきた。つまり坊にはこの法名のもと本州にも多くの信者がいたことになる。この石碑は現本堂内に祭られている。平成8年には第126回忌が植田家を先達に多くの信者の協力を得て行われた。(案内石碑より)


今大師堂

伊豆山トンネル。長さ1620m。長い。
歩いて20分くらいはかかった。

伊豆山トンネル

やれやれ~。トンネルを出てたどり着いたのはドライブイン水車
月・火定休ということなので公衆トイレ併設の休憩所で昼休憩の予定にして来たが
ご覧の通りカフェが出来ていた。なんの事前情報もなかったので最近出来たのかな?

ドライブイン水車

と、いうワケで、お昼はきのうサンリバー四万十で調達したパン。(素泊まりなので朝も)
菱田ベーカリー羊羹パンがおいしい。

昼パン


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