空色野原

空の下 野原にねころんで つぶやく
No 

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

別窓 | スポンサー広告
∧top | under∨
No  283

日岡陵古墳・石のタライ

7月16日に行った兵庫県加古川市の日岡神社

天平の時代(約1300年前)の創祀。第十二代景行天皇の皇后である稲日大郎姫命(いなびのおおいらつめのみこと)が最初のお産が難産で大変苦しんだため、次に皇后が身ごもられた時に、当社の主祭神である天伊佐佐比古命(神社の由来書によると吉備津彦命のことではとあった)が七日七夜祖神に安産を願い、無事双子の皇子を御安産された。そのため安産の守り神として信仰されている。双子の皇子の一人が有名な倭建命(日本武尊)。

日岡神社

ちょうど茅の輪くぐりが。今年はまだくぐっていなかったのでウレシイ。

正月から六月までの半年間の罪穢(つみけがれ)を祓う夏越しの大祓(おおはらえ)に使用され、それをくぐることにより、疫病や罪穢が祓われるといわれている。日本神話の中で、ヤマタノオロチを倒した素盞鳴尊(すさのおのみこと)が旅をしている途中、蘇民将来(そみんしょうらい)、巨旦将来 (こたんしょうらい)という兄弟のところで宿を求めたところ、弟の巨旦将来は裕福であったにもかかわらず宿泊を拒んだのに対し、兄の蘇民将来は貧しいながらも喜んで厚くもてなした。その数年後、再び蘇民将来のもとを訪ねた素盞鳴尊は「もし悪い病気が流行ることがあった時には、茅で輪を作り腰につければ病気にかからない」と教えた。そして疫病が流行したときに巨旦将来の家族は病に倒れたが、蘇民将来とその家族は茅の輪で助かった。この言い伝えからきている。

本殿前から振り返る。

日岡神社2

由緒書きをもらいに社務所に向かうと
ちょうど「播磨国風土記」の景行天皇稲日大郎姫命についての講座が
あと10分ほどで始まるとのことで、急遽参加することにしたラッキー
日岡神社の神職の方のていねいで熱心な講義でした。

ジツは今回、神社のすぐ裏にある日岡陵古墳がお目当て。日岡山古墳群のひとつ。
ナカナカいい感じの厳かな参道。

日岡山古墳1

日本武尊の御母上、稲日大郎姫命の御陵。

日岡山古墳2

帰り道もいい感じ。

日岡山古墳3

さて、ここから車でちょっと南下したところにもうひとつ日本武尊の伝承が。
あれ?おかしいなこの辺りのハズ・・。

石のたらい1

おおホンマに住宅地にいきなりアル

石のたらい2

石のタライ

ここから約25m東に10mほどの距離をおいて置かれていたもの。稲日大郎姫が無事に双子の王子を産んだ時にこの「石のタライ」を産湯に使ったという伝説がある。大きいタライを使った王子は大碓命、小さいタライを使われた王子は小碓命と呼ばれ、この小碓命が後の日本武尊だといわれている。実際は何に使われたものかはっきりしていない。研究者の間では柱の礎石であろうとか、また、2個が一対となって骨蔵器に使用されたものではないかともいわれている。

石のたらい3

日岡神社のすぐそば、アジアンダイニング・アガンでランチでした。

日岡山ランチ



別窓 | 日本武尊 | コメント:0 | トラックバック:0
∧top | under∨
<<マリンピア神戸・舞子海上プロムナード | 空色野原 | 武庫川猫&タイガースタクシー>>

この記事のコメント

∧top | under∨
 

管理者だけに閲覧
 

この記事のトラックバック

∧top | under∨
| 空色野原 |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。