空色野原

空の下 野原にねころんで つぶやく
No  286

光堂~千葉県印西市

千葉県の印西市に国の重要文化財旧国宝)の観音堂がある。
それを一目見たくて7月30日に向かった。

そこを今管理しているのは泉倉寺

泉倉寺

大同2年(807)に飢饉救済のため、慈雲山勝光寺延命院本埜の地に創建されたのが起こりで、延喜17年(917)に延命院は天龍山龍腹寺となるが、永正4年(1507)に小田原の北条氏によって焼き討ちにされた。その後、権大僧都興賢がこの地に来て、中坊先蔵寺を再建。地名である和泉、小倉から1字ずつをとり、かつもとの寺名の音を生かして泉倉寺と改名したと伝える。本尊が阿弥陀如来で、本堂の脇には元禄4年(1691)に建立した庫裏があり、中の客殿には弘化4年(1847)に彦根の大名・井伊家から寄進された延命地蔵菩薩座像が安置されている。この寺と井伊家とは直接のつながりはないが、この寺にかつてあった空海請来のお地蔵さまが失われたという話を伝え聞いた井伊直弼の奥方が念持仏を贈ったという。像内が金箔で荘厳されているそうで、よほどの由緒をもつ像であったと思われるが、残念ながら造像や伝来については不詳。この寺はもと真言宗寺院で、現在は天台宗。上野の寛永寺の末で、以前は寛永寺から住職が入るなど、寺格の高い寺であった。

ここもナカナカ

泉倉寺全景

観音堂は駐車場がないので
管理されてるという泉倉寺の広い駐車場に車を置かせてもらう。

泉倉寺駐車場

泉倉寺を出ると・・
スッゴク分かりにくいケド、白い建物のあたりが観音堂入口。

泉倉寺入口

ココです。ほんとにわかりづらいケドこの石柱が目印。わかるかな~?

光堂入口遠景

この古い石柱。
よお~く見ると「国宝光堂」と刻まれている。

光堂入口

まっすぐ行くとまた石の道標があり小道は右へ折れる。

光堂道標

人の家の庭先みたい・・。

光堂へ

境内が見えてきた・・。

光堂境内

宝珠院観音堂光堂)。

宝珠院の開創は不詳。現在は廃寺。観音菩薩を安置する厨子の中から永禄6年(1563)の建立を示す墨書が見つかっている。室町時代の後期(戦国時代)。内陣の各所には鮮やかな彩色が残されていて、そのきらびやかさから光堂の名がつけられている、らしい。33年に一度の御開帳で、次回は平成41年

光堂3

立派な霊木。観音杉

光堂霊木

観音杉越しに。光があたるとほんとうに“光堂”。ウツクシイ

光堂

国の重要文化財の案内板。法律が変わる前は国宝だったので旧国宝

光堂案内板

光堂の雪景」は印西八景にも選ばれているそう。
(印西八景:小林牧場の櫻花・木下公園の貝層・利根川の朝霧・結縁寺の彼岸花・大六天の手賀沼・長楽寺の晩鐘・こすもす大橋の夕映)

こんなお話もある。


大同二年に建でたってゆうがら今がら約千七十年ばけめぇかな。利根川の上流がら流れて来た仏像をちょうど通りがかった旅の坊様が拾って今んとごさ仮のお堂を建てて納めたんだと。

今の本堂はそれがら六十年ばげたってがら建てたんだと。それが今も建ってんだがらずぇぶんもつもんだなあ。今国宝んなってるよ。

その本堂の欄干にな江戸じでぇの有名な彫刻師で左甚五郎ちひとがおってなほら知ってべ日光のねむりねごうんあれ彫った人だよ。そん人が彫った竜のしっぽがあんだよ。

ところでだ。不思議なことに毎年秋んなって田んぼの稲が黄金色に色づくころんなっとこの観音様がら日光のお山へ向かって稲がぐねぐねぐねぐねかき分けられふんづげられどこまでもどこまでも続いてんだと。まるで大じゃが通ったあとみてに。

「あまた日光の竜が通って来ただな」

それを見た村ん人はそう口々にゆうだと。見た人はいねけど日光の竜が自分のしっぽに会いに来んだっぺきっと。だって今でも日光の町の年寄りの中には
「下総の小倉っちとごんに竜のある観音様あんべ」
って聞くっちもん。

「おめも日光さえったら陽明門の竜を見てみしっぽんとごんをよ」

(原話:伊藤正夫 出典:印西町民話集「光堂の竜」)


光堂2

暑い日だったがしーんと涼しくて
こういう人気 (ひとけ) がなくなった場所で感じる、
見捨てられたような、空気が滞ったような重さや暗さはなく
なんともいえない平穏で平和な居心地のよさを感じた。
今もこのあたりでは大事にされている、という感。

ここに佇んでいると・・うぐいすとひぐらしが一緒に鳴き出した
時が止まるような不思議なひととき・・。




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