空色野原

空の下 野原にねころんで つぶやく
No 

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

別窓 | スポンサー広告
∧top | under∨
No  291

大阪和泉~池上・曽根遺跡

9月3日。
大阪府立弥生文化博物館
展示物がナカナカ見応えのある博物館。

ヒミコ像。

ヒミコ

博物館があるのは、池上・曽根遺跡の一角。

池上・曽根遺跡は、大阪府和泉市池上町と同泉大津市曽根町とにまたがる弥生時代中期の環濠集落遺跡をさす。南北1.5km、東西0.6kmの範囲に広がる池上曽根遺跡は、総面積60万m²に達する大集落遺跡。1976年に国の史跡に指定された。環濠の内側に、掘立柱建物群があり、中央には大型の掘立柱建物がある。花粉などの自然遺物の分析により、アカガシなどの広葉樹の森や、アシ、ススキなどの湿地草原が遺跡周辺に広がっていたと思われる。

曽根遺跡

当時の地形図だと、後方には大阪湾がみえる。
二千年前の大阪湾は、池上曽根遺跡のわずか2km後方にまで迫っていた。


弥生遺跡と大阪湾
(泉大津市HP)

1995年、集落の中心部で見つかった弥生時代中期の大型建物と井戸は、弥生時代のイメージを塗りかえるたいへんな発見となった。大型建物は弥生時代最大級の規模で、26本の柱で構成され、直径60センチメートルもある当時の柱の根元が腐らずに、17本も残されていた。建物の南側にある井戸は、直径2.3メートルのクスノキの大木を刳りぬいて井筒にしており、刳りぬき井戸としてはわが国最大のもの。発掘されたときもこんこんと水が湧き、二千年間、井戸は生き続けていた。建物や井戸の周りには、たくさんの石器や土器を埋めた「祭りの場」がつくられ、その隣では青銅器や鉄器を作っていた当時の工房の跡も見つかった。

曽根遺跡2

池上曽根遺跡の調査のもう一つの大きな成果は、大型建物に残されていたヒノキの柱が紀元前52年に伐切されたものであることがわかり、弥生時代中期の実際の年代が初めて明らかにされたこと。それまで考えられていた年代より百年も古くなり、その後の邪馬台国に続く歴史の流れに、大きな一石を投じた。(和泉市HP)

曽根遺跡3

その、話題の大型建物。

曽根遺跡4

カッコイイ
手前の丸いのが復元された大型井戸。掘り出された本物は博物館に。

曽根遺跡5

高床式の内部。

曽根遺跡6

このあたり、マンホールも弥生っぽい。

マンホール

お昼に隣の北信太駅徒歩15分の
ハシエンダという燻製と石釜ピザの店を目指していったのだが
予約でいっぱいで入れずじまい・・

ハシエンダ

仕方が無いので信太山駅前の“寿”という喫茶に入る。
案外落ち着く。

喫茶寿

変哲もないカレーだが空腹にはごちそう。

寿カレー




別窓 | 古墳・遺跡 | コメント:0 | トラックバック:0
∧top | under∨
<<兵庫西宮~鷲林寺・トラピスト修道院 | 空色野原 | 千葉八千代~麦丸東福院>>

この記事のコメント

∧top | under∨
 

管理者だけに閲覧
 

この記事のトラックバック

∧top | under∨
| 空色野原 |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。