空色野原

空の下 野原にねころんで つぶやく
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No  294

大阪駅&尼崎寺町~善通寺

尼崎に越して7年経ったが、大阪駅いまだよく分からず・・・
先日初めてこのスペースがここにアルと気づいてエスカレーターで上ってみた。
ホームが見下ろせる。

大阪駅

大阪駅を覆っている大屋根の眺めがいい。

大阪駅2

そんな大阪駅からJRだと2つ目の駅が尼崎。
知らない人は工場地帯というイメージでもあるかもしれないが
海側の阪神尼崎駅の方には昔立派な尼崎城があった。
尼崎文化財収蔵庫にある模型。

尼崎城bg

築城400年2018年に城の一部の復元工事完成予定

尼崎城下。広い。

尼崎城下

尼崎文化財収蔵庫
市立尼崎高校の前身である尼崎市立高等女学校の校舎として建てられた建物で
城内・育英両中学校が統合して成良中学校だった校舎の1階を活用している。
企画展示も行われ、時々いいものも見れる。
こちらは弁慶。

弁慶bg

収蔵庫から西に歩いて10分もしないところ
高層マンションも望むところに昔ながらの寺町が残る。
善通寺

今から450年くらい前に覚阿上人が創建。もとは時宗四条派大本山金蓮寺末三大寺の一寺としてたびたび法主を出した由緒ある寺院。本堂は宝永3年(1706)の大修理を受けているが、移築当時の様式をそのまま伝えている。本堂前には秦武文の碑が建てられ、境内八角堂には首無地蔵尊がまつられて信仰を集めている。

尼崎寺町

おや?

尼虎

尼虎さん。

尼虎2

おやおや?

尼虎&尼白

尼白さん。

尼白1

警戒中。

尼白2

警戒。警戒。

尼白3

パトロール開始。

尼白4

猫道進行。

尼白5

ほな。

尼白6

ここにはこんな話もあるらしい。
首無地蔵尊

今から三百年前、善通寺にありがたい地蔵さまがまつられていた。ところがある日、心無い者が首から上をとって庄下川に捨ててしまった。それ以後は、首のない地蔵様、「首無地蔵尊」と呼ばれたそう。ある時、尼崎沖で漁師が漁をしていたところ、地蔵さまの御首が偶然網にかかりました。信仰心の厚い彼はその御首を家に持ち帰り、朝夕手を合わせていた。しかしその漁師の夢に毎夜、地蔵さまが現れこうおっしゃった。「善通寺に返してくれ。さすれば首から上の病を治してみせよう。」何度も夢に現れるものだから、いてもたってもいられなくなり、善通寺の学解(がくげ)上人のもとへ相談に行った。その話を聞いた上人は、試しに御首を地蔵さまの胴体に戻してみることにすると、夢のお告げ通り首と胴体がピッタリ一致した。驚いた上人は、この地蔵様が尋常でない事を理解し、広く世の人々の篤志を仰いで地蔵堂を建立し地蔵様をおまつりした。その後、病気・入学・老人ボケなど、首から上に関する願い事で、お参りする人々は絶えなかったという。しかし昭和20年6月1日、太平洋戦争による空襲で御堂が消失してしまった。だがなんと御首から上は、そのまま南を向かれた状態で全く無傷のまま発見されたそう。ちなみに御首から下は粉々に破壊されていたという。この出来事により地蔵様は御首から上だけになった。その後、昭和37年7月、当時の檀家、信者の方々に多数の御協力を得て、ついに現在の八角堂が新しく建立された。お堂内のお厨子には御首が安置されており、厚くおまつりされ今日に至っている。

※現在、地蔵様の御首は一般公開していない。

首無地蔵尊

ここは煉瓦塀も素敵だが、本堂の屋根がナカナカ素敵。北側から。

寄棟造の屋根は途中で段差をつけて葺く錣葺(しころぶき)。簡素な外観に比べ、内部は内陣外陣の天井や小壁に草花や龍・鳳凰などが描かれ、華麗な装飾が施されている。宝永3年(1706)9月に竣工。本尊(ほんぞん)厨子(ずし)が作成された江戸時代後期(18世紀後半頃)に改造が加えられたと推定され、建立当初は現在とは異なった古風で閉鎖的な堂内となっていたとみられる。改変はみられるものの建築年代は明らかであり、市内に現存する唯一の時宗寺院本堂として貴重な遺構。

尼寺町屋根



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