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空色野原

空の下 野原にねころんで つぶやく
No  345

2018四国歩き遍路3~43番明石寺・松屋旅館

5月1日。続き。
卯之町に着いた。
開明学校にちなんだ「開明」というお酒を作っている元見屋酒店

1卯之町酒蔵1bg

17時閉店で帰りは閉まっているので行っておく。

3酒蔵3bg

二百年の老舗。いい感じ。

元見屋酒店bg

外観は台風で滑り落ちた白壁や老朽化による雨漏りのため
2009年に予算上応急修理でスレート葺きに。

4酒蔵4bg

さて、第四十三番明石寺(みょうせきじ)へ。
マンホールがきれい。開明学校だろうか。

5マンホールbg

明石寺への裏参道。山道。

6明石寺裏参道bg

着いた~ 明石寺。今回の最後の札所。

地元の人から「あげいしさん」と呼ばれているのは、美しい女神が願をかけ深夜に大石を山の上まで運びあげていたという伝説に由来する。この地は乙女に化身した千手観音菩薩がこもった霊地とされて、古来尊崇されてきた。6世紀に欽明天皇の勅願によって、円手院正澄という行者が唐からの渡来仏であった千手観音菩薩像を祀るため、この地に七堂伽藍を建立して開創したのが起源。かつてはこの地方の修験道の中心道場だった。弘仁13年(822)には弘法大師がこの地を訪ねている。荒廃した伽藍を見た大師は、嵯峨天皇(在位809〜23)に奏上して勅命を受け、再興した。その後、鎌倉時代になってから再び荒れ果てた伽藍の修復に当たったのは、源頼朝である。建久5年(1194)、頼朝は命の恩人である池禅尼の菩提を弔って阿弥陀如来像を奉納、山号の現光山を「源光山」に改めた。以来、武士の帰依があつく、室町時代には領主・西園寺家の祈願所として、また江戸時代には宇和島藩主・伊達家の祈願所となり、末寺は70余寺を数えたと伝えられる。

7明石寺bg

本堂。無事にお参り出来て有難うございます。

8明石寺本堂bg

大師堂。南無大師遍照金剛。

9明石寺大師堂bg

夫婦杉。

10明石寺夫婦杉bg

帰りは表参道から。宿へとショートカットすると、途中に明石寺の奥の院跡

白王権現
山門の約200m手前の左側にある鳥居から山に沿って300mほど進む。大きな石がご神体である。『宇和旧記』に「十八、九の娘が、軽々と大石を両腕に抱き歩いていたが、当所まで来たとき夜が明けてしまったので、そのまま置き去ってしまった。その女は観音の化身か龍女か、その石を白王権現と崇め、祠を奉った」とある。

11明石寺奥の院bg

辺りはいいところ。

明石寺奥の院辺りbg

卯之町の町並みに戻ってきた。酒蔵も宿もここにある。

13卯之町風景bg

松屋旅館

15松屋旅館bg

風情ある門。

17松屋旅館門bg

日本の郵便制度を作った前島密や、武士道を記した新渡戸稲造を始め
昭和の首相犬養毅憲政の神様といわれた尾崎行雄などなど
そうそうたる名士が来館している。

16松屋著名客bg

門から玄関までが細い庭になっている。

18松屋庭bg

玄関前から門の方を振り返る。

19松屋旅館アプローチ

中庭。

20松屋中庭bg

階段。右下の引き戸の部屋に泊まった。

21松屋旅館階段

ロビー。障子の向こうがお食事処。

22松屋ロビーbg

お風呂。湯船は奥があり思ったより広い。

23松屋風呂bg

夕食。大変おいしい。
料理屋としても地元で重宝されているようだ。

この松屋旅館の最大の名物は
江戸時代から300年間伝わるぬか床によって作られる漬物と
この南予地方ならではの郷土料理であるひゅうが飯

ひゅうが飯はこの西予市から宇和島などに伝わる南予地方独自の郷土料理で
新鮮な魚であるアジなどを刺身にして、刻んだネギやみかんの皮、
醤油などとともに卵を溶きほぐしてご飯にのせて食べる料理。
(写真の左下端の皿)

24松屋夕食bg

目に嬉しい、細やかなきれいなデザート。

25松屋デザートbg

老舗というのは時に構え気味だが
ここの若女将は気を張らずに済む人で、おかげ様でくつろいだ。
(奥ゆかしく小さく映る若女将)

松屋旅館若女将bg

歩きのつかれもいやされた。合掌。


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