空色野原

空の下 野原にねころんで つぶやく
No  40

奈良*円光大師

先日、暑い中 奈良の円光大師(法然上人)二十五霊場へ。
ひとつは東大寺の中にある<指図堂>。第十一番札所。

指図堂

法然上人58歳の時、東大寺を再建中の重源上人に招かれて
浄土三部経の講義をされたそう。

当時の建物は大仏殿とともに焼失したが、
江戸時代に浄土宗の門人からの
上人の肖像画を御本尊として再建したいという願いで建てられたのがここ。

鹿
暑い日で、いい水辺を見つけて一服の鹿。

指図堂は普段は電話予約をしないと開いていないそうだが、土日は人が。
そこで面白いことを聞いた。

あまり知られていないように思うが、
法然上人の『おくり名』円光大師のほかに東漸大師恵成大師など
なんと12もあるそうな。
みな、時の天皇、後白河法皇後嵯峨天皇中御門天皇桃園天皇
近年では明治天皇などからことあるごとにおくられている。
昭和天皇も上人の750回忌に和順大師とおくられていたとは意外だった。
これは空海の弘法大師、最澄の伝教大師、親鸞の見真大師と
それぞれおくり名がひとつであることを思うと驚異的な数。

上流階級のものだった仏教をあらゆる庶民へと手渡そうとした上人だったが
結果的に超VIPからも、しかもこれだけ長い間
敬意を寄せられたというのはあらためてオドロキ。

次は南下して天香具山を背負って建つ<法然寺>。第十番。
(後ろの緑が天香具山)
法然寺

ここには『浮足如来』という
左足を衆生を救うためにそっと踏み出しているという如来像が祀られている。
その足の浮き方は紙一枚入るくらいの
ごく微妙なもので見た目ではほとんど分からないそう。
特に秘仏ではないようで拝めたが、その足元までは壇上で拝見出来なかった。

由来としては法然上人が聖徳太子の誕生地、橘寺参詣の帰途
こちらで村人に教えを説いたそう。

その337年後に知恩院の第26代門跡、源派上人が霊夢にて
「香具山や麓の寺はせまけれど、高きみのりを説きて弘めん」という歌を
法然上人から賜って、ここに隠栖し法然寺という名にした、そう。

香具山が思ったより平べったい緑のベルトのようだったのが印象的。
こういう地味なお山も尊んだのが、しみじみにほんじんのよいところ

最後に行ったのが<当麻寺奥院>。第九番。
当麻寺奥院

ここは当麻寺の奥院ではなく、浄土宗総本山京都知恩院の奥院
南北朝の動乱の時代
法然上人の御影像など幾多の貴重な宝物をここへ遷したらしい。
宝物の疎開といいましょうか。

また、法然上人がこの天平の昔からの名刹当麻寺で
中将姫が蓮糸で織ったと伝わる浄土曼荼羅の『当麻曼荼羅』<重文>を拝んで
念仏をあげられたというゆかりもある。

当麻寺は白鳳・天平時代からの古刹なので
土で出来た像としては日本最古の大きな弥勒菩薩座像<国宝>
など見どころあり。

わたしは本堂(曼荼羅堂)の
弘法大師が21日間籠ったという参籠の間がしごく印象的でした。

1000年続く『練供養』という行事もナカナカなものです。
わたしも以前生で見ましたが、大変見応えのあるものでした。
写真こちら

また、ここは二上山麓で、落日が美しく
この日も帰り道
二上山に落ちる夕陽をねらったカメラマンの列にでくわしました。

ザンネンながら夕陽は撮りはぐりましたが、最後に車中から虹を
終わりよければすべてよし。

虹
別窓 | nam-amita-yusu | コメント:2 | トラックバック:0
∧top | under∨
<<伊丹・三面大黒天 | 空色野原 | 強く思ったことでしか、人生は動かせない>>

この記事のコメント

No.15 トキさんこんにちは!
そうなんですよ~。こんな虹は記憶にある限りずいぶん見たことない。東大寺では車が混んでなかなか止められなかったり、夕陽の写真をとりはぐったり、ちょっとザンネンなこともありましたが、帳消しになりました。i-236
2010-10-03 Sun 15:20 | URL | ben-chicchan #-[ 内容変更]

No.14 おお
なんとも、スゴイ虹です、。。。
2010-10-03 Sun 03:20 | URL | トキ #0NjmJF4A[ 内容変更]

∧top | under∨
 

管理者だけに閲覧
 

この記事のトラックバック

∧top | under∨
| 空色野原 |