空色野原

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No  76

武内宿禰の塚 in 尼崎

きのうウチから徒歩25分くらいの琴浦神社まで行った帰り
車で通るたびに気になっていた『菜切塚』のところを通りました。

菜切塚1

掲げられた看板をよく読んでみると

菜切塚伝承

武内宿禰の墳墓、とあります。

近くの浜田町2丁目の浄専寺の武内家に伝わる伝承だとか。
宿禰は職を退いた後、浄専寺のあたりに暮らし
亡くなるとここ(菜切塚)に埋葬された、そう。
崇徳上皇や後醍醐天皇がここに寄ったという記述もあるよう。
明治時代には宮内省の調査があったようです。

この浄専寺の武内家からは宿禰から数えてちょうど70代目に
土井正治さんという方が出ていて住友化学工業の中興の祖だそうで。

≪武内宿禰≫(たけのうちのすくね)
大和朝廷初期(景行・成務・仲哀・応神・仁徳の5代天皇の時期)国政を補佐したとされる伝説的人物。(これだと300歳くらい生きねばならないので5代くらい武内宿禰という名で継いだのでしょうか?まあ、伝説、ですしね。)紀・巨勢・平群・葛城・蘇我氏などの中央諸豪族の祖とされるが詳細は不明。

第12代景行天皇の時に北陸・東国を視察して、蝦夷の征討を進言した。成務天皇3年に大臣となる。神功皇后の朝鮮出兵を決定づけ、忍熊皇子らの反乱鎮圧にも功があった。とかとか。


神功皇后と一緒に描かれているものは多いようです。
右が神功皇后。左にその子、応神天皇を抱く武内宿禰。

宿禰彫刻
(千葉県八千代市吉橋八幡神社)

写真を撮ろうとしたら、通りすがりの宿禰猫さんににらまれました。

宿禰猫

今はのどかな菜切山緑地。
ここの話はあまり有名じゃありませんが、真相はいかに?

菜切塚2


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