空色野原

空の下 野原にねころんで つぶやく
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No  81

智恵をも愚痴をも捨て

先日、兵庫和田岬に行きましたが
その時特に印象に残った一遍上人のお寺。真光寺

真光寺

なにが残ったかというと・・
なんといいますか、空気感、といいますか。

表現しにくいけれどあまり他のお寺で感じたことのない清浄感。
まっさらのきなりの麻のような。

真光寺2

それからなんだか一遍上人が気になりまして
一遍上人~旅の思索者~』(栗田勇著 新潮文庫)
という本を読み始めたところ。

栗田さんという方の筆にまたなんとも引き込まれて
ただの一遍伝という領域を超えているような
久しぶりにいい本に出会えた感があります。

水上勉さんの解説がいう
「栗田氏の語りの妙にひきこまれた。~中略~
私は(今まで一遍の)こんなに深切な解説者をもたなかった。」

というのがうなずけるような気がします。

まだ前半もいいところですが
一番響いたのは一遍の言葉。

「念仏の行者は智恵をも愚痴をも捨、
善悪の境界をもすて、貴賤高下の道理をもすて、
地獄をおそるる心をもすて、極楽を願う心をもすて、
又、諸宗の悟りをもすて、一切の事をすてて申念仏こそ、
弥陀超世の本願に尤もかなひ候へ。」


こりゃスゴイ。
だって、宗教って救われるためにあるのだろうと思っていたのに
極楽を願う心をも、悟りたいという欲すらも、すててしまうというのだから。

ダケド
もしかしたら逆にそれゆえに、悟りも願いも捨て切ったがゆえに
一遍上人のこのお寺、つまり荼毘跡であり御廟(お墓)であるここは
こうも、あたたかくすっきりと白木のように清浄なのでしょうか。

一遍御廟

思えばそれは聖徳太子や弘法大師や法然上人の御廟でも感じたことのないものでした。

智恵を持つことがよいと、善悪をきっちりするのがよいと、
地獄はおそれ、極楽を願おうと
宗教も道徳も常識もいっているように思うのですが
もしかしたらどれもこれも欲であり、我であるといってしまえば、
そうなのかもしれません。

デモ生きるって我と欲だっていえばそうかもしれませんが。

だけどたぶんここにとても大っきなものが横たわっているから
胸のブザーを押されたのだと思います。

なにしろそんなまっさらになれたなら
智恵も愚痴もはずかしく
いまをいきるしかないだろな・・。



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